直感は、おとなになってから大切にしている感覚のひとつである。
子どもの頃は、直感はどこか嫌な予感が多かった。クループでじゃんけんをすれば負ける直感。やりたくないと思う役割を与えられる運命にあると感じ取る直感。学校の授業で当てられたくないと思ったときに当てられてしまう未来が見える直感。どれもマイナスなイメージしかなかった。どこか予知能力でもあるのではないかと思わずにはいられないくらい当たってしまう、嫌な予感。おとなになって、直感はそれだけではないと知る。
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私は、新卒で入った会社をすでにやめている。入った当初から、ちょっとした違和感を抱えていた。なにか違う、私がここにいるのは間違っている。そう思いながら仕事をする日々。やがてその思いは膨らんでいき、仕事をしている毎日とのギャップが大きくなった。
そのときに感じた直感が、”仕事を早くやめたほうがいい“というものだった。このままでは、ギャップの大きさに本当についていけなくなると感じた。そして、本当にやりたいこと、やってみたいことにチャレンジしてみる人生を送りたいと思ったのである。
就いた職業と実際にやってみたかった職業は全く違うもの。それでもいい経験になると思い、足を踏み入れた。良かったのはそれまでで、働けば働くほど現実逃避がしたくなる。また次の朝がやってくると、ひどく落胆していたものだ。このような毎日が続けば、さすがに直感もうまく働くのだろう。新しい道へ進むことを提案してくれた瞬間であると思った。
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この直感に従って、私は仕事をやめた。何をしよう、どんな仕事で生計を立てよう、と考える毎日。とりあえず興味が湧いたことはやってみることにした。ある程度稼ぎがあって大変な仕事よりも、収入は微々たるものだが、やってみたい飛び込んだ世界でスキルアップを図るときのほうがよっぽど有益だと思えた。
私の性格上、怠慢になることが得意技のようになっているが、またやってみよう、やっぱり楽しいと思える時間を繰り返している。今も暮らしに安定はない。それでも、毎日新しいチャレンジを繰り返している今の暮らしは自分にあっていると感じる。直感を信じて、安定した生活から飛び出してよかったと思う。
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多くの人から見れば、この選択はありえないと思うだろう。安定した生活と仕事があるのに、わざわざ放り投げることはない。あえて茨の道に進むのは、止める人がいてもおかしくない。
誰かに話せば、きっと今でも止められる気がする。だからすべてを話して知っている人はいない。自分の中の野望としてとどめている。不安定な未来しか予測できなくても、安定を捨ててでも、直感を信じて走り出してみた今の生活に後悔はしていない。
理解はされなくても、自分が楽しいと思える方へ舵を切れたことを嬉しく思っている。おとなになって、働いて、感じて。これらがなかったら感じられなかったであろう直感。その時だから感じ取れた感覚や思考回路であり、今の楽しい生活を作るきっかけとなってくれたもの。
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今は、楽しいと思うもの、わくわくできると思うものを選ぶようにしている。もちろん、楽しいだけでは成り立たない。どうしても譲れない楽しくないこともある。しかし、直感で良いと思ったことに飛び込んでいける環境にいられる今を大切にしたい。
そして、この環境を作るきっかけとなった当時の直感にもあっぱれを送りたい。あのとき、私に神様の道標とも言える光を指してくれてありがとう、そう伝えたい。直感を信じたら、前途多難ではあるものの、楽しいと思える暮らしに出会った。これからもさらに楽しいことを積み重ねて行ける毎日を送れる気がする。明日も後悔をしないように、楽しいと感じるほうへ気持ちを向けて走っていく。ずっと笑顔で、後悔なく暮らせるように。