ブッブー。PCの隣に置いてあるスマホのバイブが鳴った。恋人からのLINEの通知だ。私が仕事をしている時間帯のLINE通知であれば、たいてい「仕事帰りの夕焼け」「オフィスから見えた富士山」の写真だったりする。「富士山がきれいに見えたよ」といった言葉の補足説明は一切なし。

日常の一部の些細な瞬間だけれど、私たちならきっと「あっ」と小さな声でスマホを取り出し、露出など、少しだけカメラ設定を調整して撮るであろう、美しい自然の瞬間の数々だ。そして、何の疑いもなく、当たり前であるかのように、相手に送る。それが私たちの習慣。

スマホを手にするたびにLINEをチェックする癖がある私は、その習慣を逆手にとり、たいていのLINEメッセージは通知OFFにしている。通知がなくとも、頻繁にLINEを開くから、未読のまま放置するということはないし、今すぐに決めなければいけない緊急かつ重要な連絡なら、LINEではなく、電話など、他の連絡手段があるからだ。

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だから、本当に大切な人からのLINEだけ通知をONにしている。その人数は片手で収まる。そして数少ない、通知ONの相手の一人が今の恋人だ。「来年結婚しよう」と言われているから、恋人というより、パートナーと表現した方が適切な気もしてくる。

ちなみに「来年結婚しよう」に対して、まだ正式に「YES」とは答えていない。何となく「そうだね~」と答えているけれど、私の性格を熟知している彼は「ちゃんと明確にYESって言ってよ」と詰め寄ってくることもしない。「まあOK」といった気持ちだ。この「まあ」が余計なのかもしれないけれど、

「結婚しよう」と言われても「うん!やったぁ!」とは飛びつかないのが私なのだ。「結婚しよう」と決めて、「結婚する」までの間が、一番大変だと知っているから。いつもウキウキで楽しかったデートが、次第に、「親への挨拶のこと相談したい」「そろそろ、一緒に住む家決めたい」「お金は…」と「幸せなはずなのに少しだけ憂鬱になってしまう相談タイム」になるからだ。

今年、有名な結婚情報誌が「プロポーズされたらゼクシィ」のキャッチコピーを「あなたが幸せなら、それでいい」に一新したように、妊娠・出産の予定がない今なら、結婚という形に縛られなくてもいいと私は思ってしまう。そんな私に対してパートナーは、「いずれ結婚するなら、先延ばしにする必要はない」と言うのだけれど。

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そんな私たちの共通の趣味は写真だ。出会ったころのLINEの会話は今でも覚えている。

写真が趣味だということが分かり、お気に入りの写真を見せ合おうということになった。彼は「お気に入りの1枚」を見せるつもりが、私は「自然ならこれ…、建物ならこれ…」と複数枚選ぼうとしていて、彼は「えっまさかの部門別!1枚しか選出していなかった」と笑っていた。

秋部門で、私が金閣寺と紅葉をとった写真が圧勝したのだ。彼は「今年見た写真で一番いい」と褒めてくれていた。そんな私たちは、春夏秋冬の写真を撮るために、行き先を決めたりする。

私は、彼が撮影する写真が好きだ。彼も同様に「かおりんの写真好きだよ」と言ってくれる。同じ日の同じ時間に同じ場所にいたのに、ほぼ同じ構図で撮影した紅葉の写真なのに、彼が撮った写真は、全体的に温かみのある色合いで、私が撮った写真は、暖色というより、クリアな青い空が強調されるような色合いなのだ。同じ風景であっても、私たちには違う見方があって、それが楽しい。

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ぱっと見た時にメインに映っているのは美しい紅葉だけれど、少しだけ遠くに人物が映っていて、それが私、という構図の写真が一番嬉しかったりする。インスタ映えのためでもなく、誰かに自慢するわけでもなく、スマホのロック画面に登録するわけでもないけれど。知らない間に撮影されていた自分の姿。その写真に愛を感じたりするのだ。

「えっこんな写真いつ撮っていたの!?」と少し拗ねた顔で恥ずかしそうにするけれど、心の中ではニヤついていたりする。

こんな経験はないだろうか。「付き合うのか、それとも友達なのか、どっちなのだろう」ともどかしいけれど、ただ相手と一緒に過ごせる時間幸せに感じる、片思いの経験を思い出してほしい。

「この幸せな瞬間を残しておきたい、だけれど2人で写真を撮ろうということはできないし…」

そんな淡い恋心を抱いていた時、相手にバレないように、隠し撮りをしたことはなかっただろうか。目の前でランチをほおばる姿だったり、約束した時間に待ち合わせ場所で待つ姿だったり。

私たち2人は、一緒に過ごしてきた時間はもう長いはずなのに、私にも、彼にも、心のどこかに淡い恋心が残っていて、今日もお互いにバレないように、後ろ姿を記録に残している。「好き」と声に出す代わりに。