2023年12月に入ってから、1日に1500kcal以下の栄養バランスのとれた食事を食べ(断食は過食になった経験があるのでしない)、買い物も必要最低限以外は禁じ、黙って目の前の事をこなし、時には睡眠も禁じ、精神科から処方された薬を欠かさず飲み、リビングに肩こりの母あればマッサージをし、コタツに悩む父あれば話を聞く。

そういう生活をして2週間が経とうとしている。

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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を数年ぶりに読み、「この精神性で生きてみたらどうなるんだろう」と応用してみることにした。

現代人である私にはとっても苦しく感じるのは事実。

基本的には人にオススメは出来ないが、短期間なら試してみる価値はあるかもしれない。

思考がクリアになり、普段なら気が付かないであろう音に敏感になったり、「人間」についての観察眼が鋭くなったり、自分という存在について深く考えてみたりと私なりには見えてくるものがあった。

食欲・性欲・睡眠欲・安全欲・社会的欲・所有欲・承認欲・自己実現欲。まあ様々な欲求にまみれている。それが自然だし、欲が何一つないなんて人は誰1人いない。

「人間は見た目が◯%」という言説があり私はそれを深く考えずに言葉そのまま「ふーん、そうなんだ」と鵜呑みにしていた。世間では見た目で「価値」が決まるとか見た目で好きになるとかの意味で使われることが多いと思う。

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見た目にはその人の心の奥底の「こう見られたい」「私はこういう人間です」という欲求、願望が出るんじゃないかと思いついた。

例えば、前髪を作り、スカートや淡い色のワンピースなど女性らしい色使いや形の服をまとい、大人しく見える風貌にしている女性がいるとする。

話してみると性格が勝気で衝動的で、見た目とは裏腹。見た目と中身の整合性がとれない。

実はこの女性は、猫を被っていた以前の私。

自分本来の性格とよく「対話」を重ねてみたところ、大人しく可憐な女性に見られたかった時期の私は素の自分じゃなかった。

素の自分とのギャップが己の首を絞めていたことに10代中盤から20代中盤の今まで気が付かなかったけれど、「こうすれば人によく見てもらえる」「優しくしてもらえる」というこれまたおっきな承認欲が、心の奥底の蛇口からジワジワと漏れ出て止まらない状態だったのだ。

自分に自信がなかったからというのも要因の一つかもしれない。

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 雨ニモマケズ生活をしてみて深く考えた結果、自分本来の性格を外見に少しずつ表出できるようになった。人から見た印象に囚われすぎずに。

前髪をターバンでガッツリ上げておでこを出して、黒のジャンパーを羽織ってジャージ素材のワイドパンツを履いて歩く。

メイクもベース、パウダー、単色アイシャドウ、眉毛、まつ毛、赤いリップと、これでも盛っていた頃よりは少しシンプルになった。

レディライクな日がたまにあってもいいなとは思うけれど、それは好きな人との予定がある日だけにしよう。その方が特別感が出るし、メリハリがつく。

何事も「ほどほどに」「ある程度手を抜きつつ継続する」がいいのに、加減の難しさ。

でもそれだけ不器用なりに、必死に今を生きていると言い換えることもできる。

自分という飛行機の操縦は自分にしかできないから、墜落し切る前に徐々に上昇させていく他ない。

この生活は今週末で終わりにする。3週間の雨ニモマケズ生活の後のクリスマスデートは、さぞ楽しいことでしょう。