これは私を変えた親友、Mちゃんと仲良くなるまでのお話しだ。
彼女と出会わなければきっと、”博愛のなつめ”はいなかっただろうから。

私はちょうどいいくらいの田舎で、ちょうどいいくらいに少子化が進んだ場所で育った。その中でも特に私達の代は、小学校40年の歴史に残るくらい異常に仲のいい学年。きわめて穏やかに、和気あいあいとした6年間を過ごした。

そんな私が飛び行ったのは県外からの入学者もいる私立の中高一貫校。まわりのけばけばしさと、当たり前のような男女のへだたりも、横行するいじめも、何もかもが私にはストレスフルで、尖った石に削られた私もまただんだんと鋭利になっていった。 

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私は常に正しくありたかった。

それはマジョリティ的な正しさではなかったかもしれないし、私が間違っていることだってあったなと今なら思うようなこともいくつかはある。ただ、私は正しさの正解なんてないこの無法地帯で、せめて自分の正しさを貫けないのは非合理的だと思ったのだ。

私は別に正義感が強いわけではない。誰もいない赤信号を渡ってしまう程度の中学生だった。代わりに私は冷たくて、したたかだった。誰々がやったから私もやったんだ。そんなのは言い訳にもなりはしない。今の鬱憤を晴らすことより、今の居場所を確保するより、私はただ徳を積んで、何年後かに私についてくれる人がれてくれるのを待っていた。

どこかで私の正しさを見て、それに共鳴してくれる人がいると小学校の時の経験から知っていたから。だから、休憩時間に勉強以外やることがなくなったとしても、クラスのいじめっ女子の作るカーストからかたくなに孤立し続けた。おかげで勉強嫌いだった私が学年でトップ3に常に入るくらいの成績になったのだから、ある意味儲けものだったけれど。

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そのうち、誰も信じなくなった。何にも期待しなくなった。約束しても守られない。その時に私は優しく笑って許せるほどの心の広さを持っていない。だから期待なんてしないで、がおこってもそんなもんだよと感じるようになった。
待っていたはずの、私に共鳴してくれる誰かにも、中学3年生になる頃には期待しなくなっていた。

そのころ、私と同じ帰り道に自転車を押して歩く女の子をよく見かけた。

その子がある日遠慮がちに声をかけてきた。初めは面倒だなと思っていた。彼女は不思議なほどに私を知っていた。初めて話すはずの私の名前を知っていた。いつも休憩時間には勉強ばかりしていることも、いじめっ子たちのいざこざで私が何を言ったのかも。

「なんで、そんなに私のこと知ってるの?」
名前の分からない彼女に聞くと、その子は少し気まずそうに答えた。
「1年生の時からなつめちゃんのクラス荒れてたでしょ?何か起こるたびに女の子たちが私達のクラスでなつめちゃんの愚痴を言ってたの。でも、よくよく聞いたらそれなつめちゃんが正しいんじゃない?って思うようなことがたくさんあって。なのになつめちゃんが誰かに愚痴ってるのは聞いたことないし。ずっとすごい子だな、話したいなって思ってたの」

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思わず見上げた彼女は照れくさそうに笑っていて、そこで初めて私は彼女がなぜいつも自転車を押していたのかを知った。
傷つきたくない、怒りたくない、誰かにイラつく私の嫌いな私に出会いたくなくて、誰とも関わらないようにって勉強机だけ見てた。その視界が、彼女の言葉で一気に開けた。

Mちゃんと出会って私はよく笑うようになった。誰とでも話すようになった。Mちゃんのように思ってくれていた人は案外多くて、高校生になっていつの間にか私は、親しみを込めて裏で”博愛のなつめ”と呼ばれていたのだと、高校を卒業してMちゃんはまた教えてくれた。