衝撃的な告白をすると、私は現在、貯金が0である。というのも、2023年8月に適応障害と診断された私はそこから丸々2ヶ月ほど俗世から離れ、引きこもっていた。仕事をせずにただただ浪費する生活をしていたのである。

こうなると元々少なかった貯金数十万はあっという間になくなる。家賃と物価の高い東京では尚更のこと。傷病手当金の申請もしてはいるが、まだ審査に時間を要している状況だ。

12月に転職活動をして、今やっと仕事に慣れてきて社会復帰しつつある。が、給与明細は閑古鳥。お金がかかる年末年始にかけて無一文となってしまっている。

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貯金が0になってから家計簿をつけるようになった(遅い)。12月初旬時点で手持ちは4万。とりあえず11月に単発バイトを10日ほどこなしたから、25日にお金が入ってくるまで4万で凌がなければと、お昼はお弁当を作ることにした。

tiktokやインスタを参考に、激安で超簡単な冷凍保存可能お弁当を休みの日に一気に5個作る。ペットボトルは買わずにマイボトル。夜ご飯は豆腐。そうして地道にコツコツ生活し、25日時点で2万円を手元に残したままにすることができた。

12月は丸々働いた。久しぶりに社会貢献と人としての営みをした一ヶ月だったな、と振り返ってみて思う。

2023年は、「私にとって働くとは」を常に問う一年だった。転職を2回経験し、辞め癖がついてしまって、今度こそは辞められないとプレッシャーを感じていた結果が適応障害だ。生きるために働くのか、働くために生きるのか。表裏一体なようでまったく違う愚問を、四六時中モヤモヤと考えていた。

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現在はやりたいことを主軸にWワークでこなしている。日中は公共図書館で、夜はオシャレなレストランで。基本的にはストレスフリーで楽しくやれているが、半分自暴自棄で働くってアホみたいだなと思ってしまうことが、やっぱり未だにある。少しの自由のために決して楽ではないことをやってお金稼いで、割に合わないな、と。

しかし、カフェに行ってサービスを受けるのだってカフェで働いてくれている人がいるおかげなわけであって、好きなことを好きなだけやれるのは、無職じゃない人間のおかげなのだと痛感した。持ちつ持たれつ、働きつ働かれつ。そんなこの世の均衡に参画していない自分って……と落ち込み、働かなきゃと自責に駆られ、おまけに引かれていくばかりの貯蓄。焦りに焦った。

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働くとは、恐らく、生きていることを一番実感するための手段なのだ。適応障害になったことで、働く辛さと同時に働けない辛さも経験した。

正直、私は目標や宣言というものを明確にしたくない。ゴールを決めてしまうと、それを叶えなくてはならなくなるからだ。縛られて生きたくない。だからあえて、ここで宣言することは叶えられる程度の低レベルな宣言にしておこう。

収支をマイナスにしないこと。当たり前のことだが、生きるとはそういうことだ。働いて働いて、たまにディズニーとか行って、また働いて、働く。泣いてもいいから、今の仕事と向き合って、ちゃんと稼いで生活すること。

生きることは楽なことではない。それを強く感じた2023年だったからこそ、今度は働く中で「生きてるなー」と実感できる出来事が増えると良い。私の人生、まだまだこれからだ。