1年前に書いた「2023 私の宣言」の内容は、読み返さずとも覚えている。
2022年の大晦日、夫とすき焼き鍋をつつきながら1年の振り返りと2023年に向けた抱負を語り合った。例のエッセイには、その時の様子を綴っている。さまざまな内省を踏まえたうえで、「余白を作ること」を新年の抱負のひとつとして宣言していた。
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1年前に紅白歌合戦を観ながら夫婦で話した内容は、私だけではなく夫も覚えていた。まだ大晦日は迎えていなかったけれど、2023年があと半月で終わろうとしていた12月のとある日、私は彼にこう言われた。
「年の瀬を迎えたいま考えると改めて思うんだけどさ、『余白を作る』っていう目標、なんかズレてるよね」
彼の言わんとしていることが、すぐには理解できなかった。「どういうこと?」とほんの少し眉をひそめながら聞き返す。遅めの昼食を食べ終え、居間でだらだらと他愛のない会話をしていたはずが、いつの間にか真剣味を帯び始めていた。
「まりちゃんは『◯◯をするために、余白を作る』を目指していたわけでしょ、元々。でも、日頃の様子を見ていると『余白があるから、◯◯をする』のほうがいいんじゃないかなと思って」
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説明を受けてもなお私の反応が鈍かったからか、彼はすぐに「前後が入れ替わってるだけで意味は同じじゃん、って思われるかもしれないけど、要するに考える角度の違いというかさ」と説明を重ねた。
「まりちゃんは、余白があると逆に良くないよ。自分でもわかるでしょ?少しひと息つけて余裕が生まれるとさ、『私とは』『生きるとは』みたいなことをすぐ考え始めるじゃん。妙に哲学チックになって、落ち込む必要ないのに何でか落ち込んでんの」
大いに心当たりがあり、これに関しては素直に認めざるを得なかった。
昔から、自分にはたくさんの穴が空いていると思っていた。だからこそ、その穴たちを埋めるかの如く目の前のことにしゃかりきになるきらいがあった。しゃかりきなムーブ(例えば威勢よく引き受けた仕事が想像以上の業務量で忙殺されるとか)が一旦落ち着くと、電気をぱちんと消したように、心から光が消える。
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「穴」と「余白」。
言葉は違えど、どちらも“何もない空間”であることは共通している。つまり、意図して自分の中に「余白」を作り出そうとすると、それはこの身体に長年癖づいた「穴」と融け合いやすくなってしまい、結果的にぽっかりと空いた空洞の底に落ちていることが多々あった。さらにそこは思いのほか深さがあり、明るい場所へ這い出るまでに苦戦することもまたしばしばだった。
「『余白を作る』じゃなくて、目指すのは『余白を潰す』だと思う。最近のまりちゃんはどうもうにゃうにゃしていてよく分からないなと思ってたけど、“やりたいこと”はしっかりあるっぽいじゃん。だったらなおさら哲学タイムが無駄すぎるでしょ。やりたいことを実現させるための要素だったり課題だったりを洗い出していって、自分がどう動いていけばいいのかをちゃんと計画立てていけば、余白はきっとどんどん潰れていくと思う。そのほうが、まりちゃんのメンタルは安定するんじゃないのかなって」
他愛のない話がどう脱線して余白の話につながったのかはもはや見えなくなっていたけれど、「キャリアや時間の使い方に関するモヤモヤを抱いている」というのが直前の文脈ではあった。“やりたいこと”は彼に対してこれまでも話したことのある内容だったけれど、2023年という1年を経たからこそ抱いている、鮮度が高い現状の燻りをはっきり打ち明けたのは初めてのことだった。
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いまの仕事に大きな不満があるわけではない。でも、何かを押し殺している感覚がずっとあった。
“自分が本当にやってみたいこと、書いてみたいもの……そういうものに時間を割けるようになりたい。それに近しい情報とかチャンスを逃さないために、あえて余白を作って、その余白が未来の自分との継手になるようにしたい。”
これは、1年前にかのエッセイの中で綴った言葉だ。
でも蓋を開けてみれば、「自分が本当にやってみたいこと、書いてみたいもの」に時間を割くことはできなかった。どちらかといえば「やったほうがいいであろうもの、書いたほうがいいであろうもの」を選んできた1年だった。
選んだ結果、見たことのない景色を目にすることもできたし、人がつなぐ縁の力を実感する場面も多かった。悪い1年だった、とは決して思わない。多方向から投げられてきたボールを恐れず打ち返すのは、充実感が感じられるものでもあった。でも、経験の幅が広がれば広がるほど、見えない所で燻り続けていたはずの火種が妙に視界にちらつくようになった。
この燻り自体はそれこそ子どもの頃から抱いていたものだから、そこにあって当然のものだと思っている。違和感は感じない。けれど、弱い煙を上げ続けるただの燻りというわけでもない。不規則にボッと炎が燃え上がることもある。そんな炎の出現頻度が多いのではと、最近ひとりでに感じていた。
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生産性がないから。お金にならないから。何にもつながらないから。
そういった理由や不安に何年も囚われ続けてきた。でも、諦めきっていない自分もずっといる。
「まりちゃんが言う『理由』は、つまんないよ。それで引き下がっちゃったら、それこそもっとつまんない。じゃあどうしたらいいのか?って、策を考えようよ。やりたいんだったらやりなよ。ていうか、やって?もう、命令ね。決まりね」
文章にすると何だか圧があるけれど、でも彼の力強い言葉に、私は確かに後押しされた。「やれるだけやってみよう」と密かにスイッチが入った。
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2024年の、私の宣言。
今まで通り、「書く(=ライターの仕事)」は続ける。
でも同時に、理由をつけて曖昧にし続けてきた「書く(=創作活動)」とも向き合う。
新しい年のカレンダーは、まだまだ真っ白、余白だらけ。
“やりたいこと”でその余白を潰しにいく。燻らせたままで、終わらせない。