今どきの子、というのはくくりが雑かもしれないが、5歳以上下の知り合いが使っているアプリだと、今何をしているか写真に撮って現在地とともに投稿するようなものがあったりして驚く。

私はX(旧Twitter)、Instagram、Facebookのすべてに一応登録はしているが、顔がわかる写真を載せることはない。絶対に隠している。

なぜかといえば、親族に知られることが怖いからだ。

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親族に知られてしまえば、もっとも避けている実家の人間にアカウントのみならず居場所やどこで働いているかまでわかってしまうだろう。

あまり外見も内面も認められない人生が長かったので、承認欲求は強い方だと思うし、顔を出して大バズりしてみたい、という気持ちが0かといえばそんなことはない。

けれど肉親から連絡が来るだけで体調を崩して1週間倒れてしまうわたしに、そんなリスクを犯すことはできない。

だから、Vlogを撮っている人も、外国人観光客が無造作にあちこちに向けているスマホのカメラも、テーマパークで録画しながら歩いている人も、みんな怖い。

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仕事中、いわゆるキャッチをしていた時に一度、盗撮されたことがある。その時に最初に浮かんだのはそのデータがインターネット上に流出しないか、ということで、もしそれを誰か親族が見つけてしまったらどうしようと思って(実際そのデータがどうなったかはわからないにもかかわらず)数日間吐きそうになっていた。 

本当に、誰でもどこで撮った写真もインターネット上に公開するなら写り込んだ人の顔はなんとしても隠してほしい。

私は1990年代後半の生まれだが、インターネット上に本名や顔を出すのは危ない、というのを刷り込まれて育った最後の世代のように思う。

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もしかしたらきょうだいやいとこは顔を出してFacebookなんかやっているのかもしれない。でも調べることはできない。怖いからだ。

本当は、こうやって生育歴や受けてきた虐待を書いているのも家族が読めばわかるのではないかと少し怖い。けれどそれでも、書くことくらいしか自分にはできないし、他に同じような思いをした人にここにも仲間がいるよ、と伝える手段は他にはない。 

だから、というわけではないが風景の写真も、あまり撮らない。よく撮るのは少し変わった看板とか、誰かに見せたいもの、あとは外で食べたものくらいだ。

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外で食べたものを撮ると、数年後でも写真をみるだけで、ああこの日はあそこのドトールに行ってタバコを吸ったんだな、とか、資格の勉強をしていたんだな、とか、あの場所に旅行に行ったのだ、ということが鮮明に思い出せる。

とくに映えとか気にしていないし、どこに載せるわけでもないが、いつまでも生きている実感をあまり持てずにいるにとっては食べたものの写真は年月を過ごした証のような気もする。
 

今年の夏にうさぎが来てからはうさぎの写真も撮るようになった。けれどに似てあまりじっとしていないうちのうさぎは、なかなか写真を撮らせてくれないし、撮ってもぶれていたりする。けれどそれも、うさぎの生きた時間だから、と思って消さないでいる。

こう書いて、来年は夫の写真ももう少し撮ってみよう、と思った。安定した毎日をやっと手に入れた気がしていたけれど、世界を見れば日常がいつ壊れるかわからないのは確かなのだ。