「大丈夫、ちゃんといい方向につながっているから」
これは、私の母の口癖。私がずっと、おまもりにしている言葉。
不思議なのは、客観的に見てもネガティブに分類されるような出来事でも、母が「いい方向につながっている」と言ったことは、ちゃんとプラスの結果になっているところだ。言霊だとでも言うのだろうか。
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先輩方との付き合いのため、嫌々ながらも参加を申し込んだイベントは、欠席者多数のため中止になった。先輩との関係に波風を立てることなく、嫌なイベントに参加せずに済んだ。また、持病の悪化のために仕事が続けられなくなり、泣く泣く仕事を辞めたときも、体調が安定してきた頃に、前よりも良い条件の仕事が見つかった。どんな時も、母は「いい方向につながっている」と口ずさんでいた。最初は、根拠の無い母の言葉にイライラしていた。しかし、何度も良い結果になることを繰り返しているうちに、私もこの言葉を信じるようになっていった。本当に良い結果になるんだ。そう実感してからは、私もこの言葉を積極的に口にするようになった。自分を励ますときにも、誰かを励ますときにも。
これだけ聞くと、母はポジティブで、肝が据わっているように思える。しかし実際の母は、心配性で、繊細で、何事にも慎重な人だ。とても楽観的な性格とは言えない。そしてその気質は、娘の私にもしっかりと引き継がれている。
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最近、気づいたことがある。「いい方向につながっている」なんて、言葉自体はポジティブだが、この言葉を口にするときの母の表情はどことなく硬い。しかも、母がこの言葉を口にするときに直面している出来事は、「どうにか乗り越えられそう」という根拠も予兆もないことばかりだ。
そうか、母も不安なのだ。もちろん、私を励ましたり前向きにさせようという気持ちもあっただろうけど、それと同時に、母も自分自身を励ますために、自分に言い聞かせるようにこの言葉を口にしていたのかもしれない。今はつらいかもしれないけど、その先に待つものに出会うためには前に進むしかない。まずは立ち上がらないと、乗り越えられるものも乗り越えられない。そんな思いだったのかもしれない。
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冷静に考えれば、気の持ちようである気もする。または、その言葉とは関係なく、たまたま結果的にプラスになった、というだけなのかもしれない。結果に対する捉え方が変わっただけなのかもしれない。でも、私はそれでいいんじゃないかと思っている。その言葉に実際に力があろうがなかろうが、私たちの心を支えているのは確かであるから。それに、目に見えないものを信じて力にする。「おまもり」ってそういうものだと私は考えているから。
だから、今日も私と母は口ずさむ。
「大丈夫、いい方向につながっているから」
まずは声に出してみる。自分自身に言い聞かせてみる。根拠なんて要らない。気持ちも、結果もその後についてくるものなんだ。
心配性で、繊細で、不安が絶えない私たちを支えるおまもりの言葉。