カメラは好きだが、写真との思い出は辛いものも少なくなかった。
カシャン、とシャッターを切るとファインダー越しの光景は永遠になってしまう。それが辛くて仕方がなかったことがあった。カメラマンに徹した私と写真の距離を記しておこうと思う。
◎ ◎
写真は、写るよりも撮る方が好きだった。だから、大学時代は写真サークルに入って様々なものを撮ってきた。大学の行事も校舎もなんでもない日常も、シャッターを切ってはおさめ、時に現像して公開することもあった。人に頼まれて大会の写真やイベントの写真を撮ってデータを差し上げることもあった。やりがいを感じていたし、楽しかったのは事実だ。
ただ、私は一時期写真を忌々しいものだと思っていた。
当時、私は同性のパートナーがいた。同じ学科のイケメンな女の子だった。当時、ぼんやりと同性愛なんて言葉が広まりつつあったが、ダイバーシティなんて言葉はなかったし、特別誰かに私たちの関係を紹介するつもりはなかった。それで困ることはないと思ったからだ。けれど、そうはいかなかった。
大学3年の文化祭。
4年生になると参加するのも難しくなるため、皆がなんとはなしに気合いを入れていた。私は少し体調を崩していて、積極的な参加はしていなかったがパートナーが出し物をするというから、カメラを抱えて見学にいった。あえてパートナーのことを彼と表記するが、彼の発表が終わったら、サークルに依頼された写真を撮ってさっさと家に帰るつもりだった。それくらい体調はよくなかったし、文化祭を楽しめる状態ではなかったからだ。
◎ ◎
無事に彼の出し物を見ることができて、いくつかの写真を撮ることができた。サークルの癖でイベント写真を撮る要領で撮影してしまったから、いつかちゃんとデータを差し上げようと思った。時計を見て、依頼されたイベントまで少し時間があることがわかったが、誰かと話す気力もなかったからそのまま場所を移動しようとした。
そのとき、 「万里先輩、写真撮ってください!」。
明るい後輩の声がした。ああ、こういうときに限って私の体調とは正反対の声がするものだと半ばあきらめながら振り返る。すると、声をかけてくれた明るい後輩の隣には彼がいた。そのときに、私は察した。ああ、最悪だって。
「もちろん、それは撮るよ、はいポーズ!」
めいっぱい、できる限りの明るい声を出した。後輩の女の子と彼は腕を組んでそこにいた。
カシャン。
その瞬間、二人のその光景は永遠になってしまった。何が悲しくて自分の恋人と他人の仲良しツーショットを撮らないといけないのだ。その場で泣いてしまいたくなった。けれど、それだけで終わらないから、この世の中はクソだと思った。
◎ ◎
今度は別の後輩が彼と写真を撮りたいという。その次は同級生、そして先輩。
私は無心でシャッターを切った。ハグでも手つなぎでも、頬を寄せても、どんなポーズをされようが構わず撮った。シャッターを切るたびに、私の心の何かが死んでいくきがした。
仕方がない。彼はイケメンな女の子。憧れを抱いている人も多い。ましてやサークルの長をしていたのだから記念に写真を撮りたいと思うだろうし、彼も優しいから断れない。わかっていたけれど、数十枚の写真をとって、限界が来た。
「私、そろそろイベント撮影しなきゃ」
そういって、逃げるようにその場を立ち去った。彼はそんな私をみて初めて罪悪感が湧いたらしい。なんて鈍感なのだろうか。心の中でクソ野郎って言ってしまった。
◎ ◎
死んだ心で、イベント撮影を終えた私は、ボロボロになって家に帰った。彼からの連絡にも返信できなかった。そして気づくわけだ。
「一眼レフで撮った、私たち二人の写真は一枚もないのよね」
そうしてたくさん泣いた。私はいつもカメラマン。彼もカメラが好きだったから、互いを撮ることはあった。でも、私たちの関係は誰にも言えないから、ツーショットを撮ってもらうこともできない。なんでもないサークルの仲間だったらハグも、手つなぎも、できるのに。どのカメラのデータを見ても彼との写真は一枚もない。このときからシャッターを切るたびに、彼との距離が離れていく気がして私はカメラを置いてしまった。
今は、これも「思い出」として整理できていることだが、当時は本当に辛かった。あのファインダーという小さな四角の中に収まることさえ私たちはできなかったことが、だ。カメラを通して学んだのは、恋人との距離感だった。好きなことから学ぶ辛さって、結構心に残ってしまうものだ。まるでシャッターを切ったみたいに。