写真を撮るのは、好きだし、友人や知人と集まったら、必ず自撮りする。あんまり景色の写真を撮ることはしないが、人がいる写真を撮ることが好きだ。人との記憶は覚えやすいので、写真を見返すときがとても楽しい。写真を見返すことは月に1回くらいで、その時のシーンを思い出すことが好きだ。

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小さいころは感受性が豊かで、自分が泣いている写真や怒っている写真を見たら、その時にあったことを思い出して同じ感情になって、自然と涙を流したり、怒りをあらわにしたりしていた。だから、幼い時はあんまり自分の写真を見るのが得意ではなかった。

特に思い出すのは、自分の上の兄弟が入園式に行った後に撮られた写真だ。私は、物心ついてからずっと兄弟に対抗心むき出しで、絶対負けたくなかった。あとは、兄弟と一緒のことをしたかった。だからほとんど兄弟のまねをして、同じ習い事もしたし、兄弟が友達と一緒にやっていることは仲間に、無理やり入れてもらった。キックベースをしたのも、今ではほとんど全く興味のない野球の試合を見に行ったのもすべて兄弟が興味を持っていたからだった。

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ただ、どうしても勝てないのは「年齢」で幼稚園に入るのも小学校に入るのも、当たり前に上の兄弟のほうが早かった。その当時は、年齢なんて概念を理解してなかったからか、私もどうしても入りたかったらしい。

でも幼稚園に入る年齢は決まっているから、私は兄弟と一緒に入園できるわけはない。どうやら、私は入園式に私も出られて、同じクラスに入れるとでも思っていたらしい。でもそうじゃなかったから、帰宅してから、玄関先ではいつくばって泣いていた。顔を真っ赤にしながらぐちゃぐちゃに泣いている写真がその時られていたらしい。

もう今となっては思い出せないけれど、本当に“一緒に”幼稚園に通いたかったのだろうが、無理だったから、おそらく幼い子特有の泣きわめく、駄々をこねる攻撃を親に向かってしていたのかなあ、と思う。

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その写真を小学校に上がってから家族と眺めるときがあった。家族みんなで集まっていた時だったと思うから、お正月かお盆だっただろうか。2、3歳の時にられた写真は、小銭入れ位の容量しかない小さいリュックサックを背負って、顔を真っ赤にしながら泣いている姿を映してあった。

その時の情景が思い出されて、私はまた泣きじゃくって家族を困惑させたことがある。母親は泣く私がおもしろかったのか、泣いている姿を見て笑っていたような気がするけれども。

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これは一例ではあるが、こんな感じで写真を見るとその時のことを思い出してか想像して感情が出てくるから、その時の感情に関係なく写真に振り回されることも相まって、写真を見ることがあんまり得意ではなかった。

特に小さい頃は、時間軸があいまいなのか、感覚があいまいなのか、過去と現在やゲームや絵本の中と現実の区別がうまくできなかったからか、とてもしんどかった覚えがある。

あとは小さい時は特に、自分が写真を撮る人ではなく、撮られる対象であったから、写真の中の私が、必ずしも幸せな状況というわけではなく、親の感性で、よい、記録に残しておきたいという瞬間が多かった。写真を撮るのが自分の自由ではないからこそ、楽しい情景だけでなく、自分にとってつらい状況も写真に残されていたということも理由の一つかもしれない。

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今はもう写真はスマホで簡単に撮れるようになったし、友人や家族と集まったら、写真は一緒に撮るし、特に自撮りをするのが好きだ。自分で自分の良いと思う瞬間をコントロールできるからかもしれない。

幼いころは困っていたけれども、どちらかというと私は記憶がよいほう(覚えていると思い込んでいるだけかもしれないし、他の人もおんなじかもしれないけれど)みたいで、写真を見るとそのとき何を話したかとか、どういう景色を見たかとか前後の記憶を思い出すことが大体できるので、今では写真を撮って記録を残すことは楽しいことの一つになっている。