毎年新しい年が明ける度、「今年こそはしっかりした大人の女性になるぞ」と決意を固めるものの、その決意は年が明けて1週間も経てば忘れてしまうというかそんな事言ってたっけ?なんて頼りない気持ちしか残っていない。
学生の頃は書き初めをしたり決意表明を書いたりする機会が多かったものの大人になると自分で改めてそんな事をしようという気持ちにならなかった物ぐさな人間なのと、他人様に対して「こんな事をやりたいと思ってるんだ」と宣言する勇気も持ち合わせていない。
自分でも踏ん切りの付かないやつだなと思ってしまう。もう二十代も折り返し地点を過ぎてアラサーと呼ばれる年になって来たのだから「いい加減おっちょこちょいを直してしっかりした女性にならないと」と思うのだけど、最近少し違う考え方も出てきた。
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小さな頃から二人姉弟の上だからという事で「しっかりしている事」をずっと求められてきた。女の子だからというのも影響したのだろうか、両親、特に母が私に対して求めるレベルは五歳下の弟と比較して何事においても高めで、「もっと頑張りなさい」と言われる事はあっても褒めて貰える機会はなかった。お行儀よく勉強もしっかりとやって、お手伝いなどは言われなくても気を利かせて自分から進んでやる。
褒めてもらいたい一心で頑張って来たものの、心の中のどこかで「どんなに頑張っても誰も褒めてくれない。私は何の為に頑張っているんだろう・・・」と苦しく、気持ちが重くなって自分に対して自信を持つ事も価値を見出す事も出来なかった。
成長して大人になった後も、自分の中に入ったヒビは治るどころか少しずつ大きくなってきているような気がしてある時「このままだと私自身が壊れてしまう」と危機感を覚えて藁をもすがる思いで心療内科へ足を運んだ。
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話をひと通り聞いた主治医の先生は「あなたの心を蝕んでいるのは自分に自信を持てない事が大きい。どんなに小さな事でもいいからできた事を褒めてあげて」とアドバイスをくれて、初めて自分が完璧主義のような考え方を持っているのだと知る事が出来た。
それまで自分の事を失敗してばかりのどんくさい人間だと思っていたから、先生から指摘されるまでそんな考えを持っているとも気が付かなかった。自分の求めるレベルと実際の仕上がりが大きく違っていたらストレスになるのは当然の事で、その求めるレベルの高さは自分が、というよりも第三者からの評価を気にしてのものだという事も通院する内に気づいていった。私は自分の事よりも目に見えない別の誰かの事をずっと優先して生きてきたのだ。
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それから始めたのは「自分を許す」という作業だった。人よりも疲れやすくて不器用な自分に苛立ったりがっかりしたりせずに80点でも75点でも出来ただけで良し、とハードルを大幅に下げたのだ。始めの内こそ「こんなに簡単でいいのかな」ともやもやする事はあったものの慣れていく内に肩の荷が下りて生きやすくなってきた。
しっかりとした女性にはなれなくとも自分をいたわってあげる事が出来たら、他人に対してもより思いやりをもって接する事が出来るようになれて周囲にも良い影響を与えられるのではないか。人にも自分にも優しくできる人になる事がこれからの新しい目標だ。