私のお守りは自分の顔だ。嫌なことがあった時も、先輩から厳しく怒られた時も、課題が終わらなくて泣きそうになった時も、ふと鏡で自分の顔を見る。すると「私って可愛いなぁ。可愛いからなんかどうでもいいや」と思えて大抵の悩みは無くなる。元気を出せる。

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他の人から見ると馬鹿げていて、自分に自惚れた見苦しい奴だと思われるかもしれない。痛いことを言ってることは自分でも流石に自覚している。でも、私は可愛いのだ。だからこう言ってしまうのは仕方ない。結局私は可愛い、可愛いから周りからの批判さえも心には刺さらない。自分を可愛いと思えることこそが、私にとっても心の安定であり、メンタルを安定させてくれる、いつでもどこへでも携帯できるお守りであるのだ。 しかし、ここに至るまでには様々な経験があった。それを乗り越えたからこそ今のようにこう思えることができるようになったのだ。ここまで私が自分を好きになれた経緯を述べていこう。

小さい頃から周りの大人や友達からは可愛いと褒められることが多く、幼いながら自分が一般的に見て「可愛い部類」に入ることは薄々気づいていた。だからこそ美意識も他の人より高く、お洒落やメイクも小学生3年生頃から始めたりと、周りと比べて早かった。見た目に気を使っているからこそ、自分の見た目に対しては人一倍厳しくなることが多かった。

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中学生辺りから、友達にどんなに可愛いと褒められても、お気に入りの可愛いリボンを身につけても自分のことを可愛いと思うことが出来なくなった。高校生になり、勉強のストレスと成長期が重なり人生で1番太ってしまった。そんな自分が惨めで鏡で見る度に死んでしまいたいとさえ思った。写真も撮りたくないしお洒落をしても盛れない。この時期は自分に対して肯定感は一層低くて、自分のことが嫌いで、自分がこの世に存在してしまっていることに対しても申し訳無さを感じていた。そうして高校2年生のコロナの時期に学校へ行かないことへのストレスも重なり、それまでの自己肯定感の低さが爆発して拒食症になった。もともとの体重から20kgも落ちて、骨のような腕と足でガリガリの見た目になった。それでも、その当時の自分は自分を認められなかった。「この子は私よりもっと細い、だからもっと痩せなきゃ。じゃないと誰も私を認めてくれない。可愛いって思ってくれない」と毎日他人と比べて自分を追い込み、落ち込み、蔑み、完全に自分の居場所を見失っていた。

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そんな中、大学進学をきっかけに高知県から東京に引越し、人暮らしの生活が始まった。東京では初めて見る高いビルや目まぐるしく動く時間、個性豊かな人々、何もかもが新鮮で毎日見る景色全てが私にとって刺激であった。特に、一人一人の個性が認められている世界が私に大きな衝撃を与えた。性別に関わらずそれぞれが自分の好きな物を突き通すファッションをしていたり、周りの目を気にしない奇抜な髪形、派手なメイク、そのような人々沢山いることを目の当たりにして、自分が見ている世界の小ささを痛感した。「私は私でいいんだ。誰かのために、誰かに認められるために生きるのではなくて、私のために、私は生きているのだ」と。

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それから徐々に好きなものを食べられるようになり、体型への拘りも無くなった。好きなように足を出して好きな髪色にして、自分という存在を楽しむことができるようになった。おかしなことに自分の存在を認めてあげるようになると、どんな姿であっても自分がとても愛おしく感じるようになのだ。あれほどまで嫌いだった自分が本当に可愛くて仕方なくなってしまった。朝起きて寝起きのむくんだ姿であっても「可愛い」と声が漏れてしまう。それでいいのだ。自分の機嫌は自分でとって、自分のことは自分が1番愛でてあげないと、誰も私の代わりは出来ないし私は最後まで私なのだ。この世の全ての人は選ばれて生まれてきた奇跡の存在だ。だから、みんな自分を認めてあげてもっと自分のことが好きだと公言してもいいと思う。私はその先駆者になってこうして公言していこうと思う。私は私が大好きである。自分が1番のお守りで1番の味方だから。

これからあと半世紀以上大好きな私と長く付き合ってくのが楽しみで仕方ない。辛いことや悲しいことも投げ出したくなることも沢山あるだろう。その度に私は私の顔に惚れ惚れして癒されたいと思う。いつも可愛い顔でどこでも元気づけてくれてありがとう、守ってくれてありがとう、私。これからもよろしくね。