コンサートホールの座席に座る。スマホの設定を、機内モードに変えて鞄にしまう。そのときいつも、なんだかウキウキする。これからスマホから解放されて、音楽の時間に没頭できる。家にいるときに、テレビやステレオから聴くのとまた違った体験。私の心を動かす体験は、スマホの外に存在している。
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去年2023年は、クラシック音楽好きとしては、上々のコンサート出席率だったと思う。京響、小澤塾オペラ、N響、そしてNDLエルプフィル。トーンハレは当日にコンサートの存在に気がついてしまって泣く泣く欠席してしまった。曲目はブラームスの交響曲第1番だし、留学中に副科でイングリッシュ・ホルンを習っていた先生も来ていたというのに、非常に勿体なかった。ちなみにコンセルトヘボウの京都公演もチケットを買っておらず、直前にお休みが偶然取れていたから、行くかずっと悩んでいた。私の師匠が乗る番なのか分からなかったからだ。基本的に返事をくれない人なので、一か八かとSNSに「今、日本来てる?明日吹く?」とメッセージを入れると、物の数分で「来てないんだよねー」と返ってきた。あれだけ送るか悩んでいたのに、こんなにあっさりと返事が来るなら、さっさと送っておけばよかった。ということで、せっかくのコンセルトヘボウも師匠がいないため欠席。
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唯一行った海外オケのNDLエルプフィルハーモニーは、大学生の頃、一度だけプライベートレッスンを受けたことのある、素敵なオーボエ奏者が未だ健在でバリバリ演奏していた。彼は確か、日本のオーボエメーカーの楽器を使用していて、その独特な音色が心地よく響き渡っていた。良いオーボエ奏者の演奏を聴くと、ホッとしてしまう。きっとそれは私が、オーボエ奏者として色んな人に育ててもらったのに、その役目を果たせなかった後悔からくるのだろう。私がいなくなったとしても、オーボエ界は、きっと良い指導者が良い奏者を育てていくのだろうという安心感。素敵なオーボエ奏者は世界中たくさんいるので、色んな人に知ってもらいたい。
入国制限が緩和されて、次々と海外の著名オーケストラなど演奏家たちが来日したり、アジアツアーを遂行している。音楽雑誌やコンサートホール情報などを端からチェックしていると、素晴らしい演奏者の名前を見つけることができる。次は誰のに行こうかな、チケット誰かからもらえないかな、とウキウキしながら手帳にスケジュールを書き込んでいく。7歳でピアノを始めて、クラシック音楽歴も22年ともなると、楽しみ方は熟知している。大学と大学院まで音楽に染まっていたおかげで、そんじゃそこらのファンよりも、ディープに詳しい自信がある。
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初めて生オケを体験したのは、中2の春。京響の大阪公演で、曲目はガーシュインのラプソディ・イン・ブルーと、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だった。ちなみにピアニストは山下洋輔さんで、有名な「肘弾き」なるものも見られたし、なんといってもチャイコフスキーの迫力は凄かった。全身に鳥肌が立って、泣いてしまった。ああ、こんなに感動できるものが、私の人生にあって良かった。そんな体験をするたびに思う。音楽があったこと、音楽の良さに若くして気付けたこと、音楽を長く勉強することで見つけた世界があったこと、全部含めて20年余りとても楽しかった。
スマホはいろんな情報を与えてはくれるが、体験は与えられない。体験したければ、まず顔を洗って服を着て、靴を履いて家の外に出なければ。玄関の扉の外に出ると、急に顔に外気が当たり、一気に世界が近くなる。生の体験は、実際に経験しなければ身にならない。机上の空論というか、百聞は一見にしかず、というか。とにかく私は、スマホで見つけた情報も、全部試してみたい。スマホを置いて、集中して世界と切り離される瞬間が、とても気持ちがいいのだ。