「浪人はしない。国立大学に行くことは諦める。でもこの先は、何があっても絶対に妥協しない」
高校から徒歩5分の駅で始発電車の出発を待つ間、隣に座る同級生が放ったこの言葉は、今でも私のおまもりとして深く心に刻まれている。

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彼女と私は3年間、高校のクラスが同じだった。席替えで前の席を希望する私たちは大抵いつも席が隣で、どこに行くにも何をするにも一緒だった。数学や物理の問題でつまずいたところは教え合い、お互いのお気に入りの先生について語ってははしゃぎ合う。部活が無い日は下校時刻ぎりぎりまで学校で勉強して、同じ電車で帰る。私たちは最寄駅も隣だった。

私たちは別々の国立大学を志望していた。なぜ国立にこだわったか、それは教師から語られる“国立ブランド”に半ば洗脳されていたからだろう。特に進学校にいた当時の私たちにとって、学力こそが人生の全てだったし、滑り止めの私立大学に落ちたら一生の恥だと(本気で)思っていた(実際に私は滑り止めの私立大学に落ちて、担任に泣きながら「一生恥ずかしい思いをすることになる……」と訴えたら、首を傾げられた)。

彼女は工学部を、私は農学部を志望した。

いくら仲がいい私たちでも模試の結果を教え合うことはなかったが、お互い厳しく険しい道のりを歩んでいることは、言葉にせずとも伝わった。当時のセンター試験を終えて、二次試験の前期。彼女も私も残念な結果に終わった。私は同じ大学の後期受験に臨み、彼女は第一志望の国立を変えて別の国立大学を後期で受けた。それも、どちらも不合格だった。

二次試験の結果と今後の進路を高校に報告しに行った帰り、私たちはいつもの電車で出発を待つ。彼女も私も浪人せず、事前に合格していた私立大学に進学することを決めていた。

「国立は諦めるけど、この先は何があっても絶対に妥協しない」
この日のためにどれだけ努力を重ねてきたか、私は知っている。だから彼女の“国立大学を諦める”選択にどれほどの覚悟が必要だったか手に取るようにわかったし、その場では「うん、私も……」と歯切れの悪い返事しかできなかった。それくらい突発的で、すぐに受け止めるのが難しい言葉だった。

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私は今でも、彼女のこの言葉を行動指針にしている。
滑り止めで入学した大学では、勉強も趣味も全て楽しみ切るつもりやった。オーケストラサークル、日光市と連携したツアー運営、海外フィールドワーク、資格取得。レポートが5つ重なったタイミングでサークル活動が佳境に入ったときはしんどさも感じたが、「絶対に妥協しない」と強く念じ続けた。どれだけ忙しくても、単位はひとつも落とさなかった。

就活が始まれば「大人ってこの方法でしかなれないの?」と就活のあり方に疑問を呈し、「地に足ついた社会人になったら好き勝手してやる」という宣言のもと、大手飲食業界に入社した。満員電車に乗りたくない。好きな時間に働きたい。そんなわがままという名の理想を携えて。

そして4年後、「地に足ついた社会人になった」私は仕事を辞めて、現在はフリーランスで生計を立てようともがいている真っ最中だ。
「大人ってこの方法でしかなれないの?」と疑問を抱く大学生だった自分に、“大人になる選択肢はたくさんあっていい”と証明するために。過去に描いたわがままを実現させるために。

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彼女とは大学1年生のころに高校の文化祭で再会し以来、一度も会っていない。わずかにつながるインスタのストーリーズでたまに彼女の近況を確認して、静かに見守っている。彼女も進みたい道に妥協せず歩んでいてほしいと願いながら。

国立は諦めたけど、この先は何があっても絶対に妥協しない。
この言葉をおまもりに、私は今日も進み続ける。