去年の夏、大好きな人を二人失った。
どんなに暗く落ち込んでいる時も、見るだけで元気がもらえる光のような存在だった。
だけど、二人とも自分で自分の人生を終わらせた。

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一人は、Youtuberの女の子だった。

彼女は私より年下だったけれど人生経験も美容知識も豊富で、いつも自分がなりたい自分に変身していた。私は彼女の動画に背中を押されて、ずっと決めきれなかった美容施術に挑戦した。彼女自身は決して推奨ではなく体験談として動画にしてくれたに過ぎないが、おかげで私の長年の悩みがなくなって心から感謝している。

一見、明るく人生を楽しんでいるようにみえる彼女も、実はたくさんの生きずらさを抱えて生きていることを時々明かしてくれた。Youtubeだって他のSNSと同じで、見せたくない部分は切り取れるし何度だってやり直して投稿することができる。それでも自分の弱い部分や隠してもいいことを彼女は赤裸々に、時には涙を流しながら話す姿に、言葉は間違っているが勝手に親近感がわいた。楽しそうにメイクして自分がなりたい姿になっていく彼女も、なかなかうまく生きられないありのままの様子をみせてくれる彼女も、丸ごと私の勇気に繋がっていた。

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もう一人は、私のロールモデルのパートナーだった。

二人は10代の頃から私の憧れのカップルで、二人のやり取りを見てるだけで心が穏やかな気持ちになった。流行に左右されず自分の「好き」を貫き通してるところや、どんなに有名になってもブレない芯をもっているところ、なにより愛をもって人と接しているところ。こんなたった数行じゃ書ききれないくらい魅力たっぷりの二人だった。

ある時その人は、見た目も心も女性として生きていきたいと、世間に発表した。彼女とも新しい家族の形になると知った時、驚かなかったといったら嘘になるけど、それよりも二人が嫌い同士になったわけではなくてパートナーであることには変わりなかったことが心底嬉しかった。見た目だとか、性別だとか、そんなことより二人が納得して生活できるならそれでよかった。

二人がなにがきっかけで、この世を去ってしまったのかは分からない。

二人の周りの環境はゆっくりと前を向いて進んでいっているのに、私はふとした時に二人のこれからが更新されないことを痛感して、いまだに涙が溢れてしまう。

多様性な世の中なんてこないんじゃないか。
結局、生きづらい人が我慢しなきゃいけない社会のままなんじゃないか。
まるで二人に置いてかれたような気持ちで過ごしていたある日、ロールモデルの彼女がテレビに出演してこう語っていた。

「もっと寛容な世の中に皆でしていこうっていうことよりも、“自分の信念”をしっかりと持っているほうが、みんなが多様性っていうものを語り合える素敵な世の中になる。近道はそれなんじゃないかな」

私は、ハッとした。
これだ、私が願っていたのはこういうことだったんだ。

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「一生独身なんて寂しいね」という人に「そんなの古い価値観だよ」っていうのは、多様性を認めているように見えて価値観の強要と同じなんじゃないか。

ボーダーレスだとかジェンダーレスだとか、何かと取り上げて区別して、特別視することは何の解決にもならないと思う。
肯定の気持ちも否定したい気持ちも「多様性」に含まれるなら、それぞれが認め合って共存する世の中で私は生きていきたいんだ。

貴方は貴方、私は私、ただそれだけのこと。
みんなが自分の人生を自分で生きられますように。