私のおまもりは、中学生の時に誰か知らない人からもらった1枚の暗記帳だ。
私は中学生の頃、ゴリゴリの厨二病だった。
女子だが、後頭部を刈り上げにし、前髪は今でいう米津玄師さん風(米津玄師さんももうおでこは出すようになったか)、ちなみに当時はBUMP OF CHICKENの藤原基央さん風のつもり、そして校則違反のピアスをつけ、俯いて、いつも何かに悩んでいた。

今思えば当時の私の悩みなんか取るに足らないことだった。
母親から殴られることも、父から「お前が悪い子だから殴られるんだろう」と言われることも、頼の綱の姉が家に寄りつかないことも、今思えば本当にどうでも良いこと。

だって後に私は世界一幸せになるのだ。
当時はそれを知らなかったから苦しかったが、今となっては屁ですらない。

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話を戻して、そんな苦しみの真っ最中にいた私は、厨二病らしく休み時間に人目を盗んで日記を書いていた。内容はたしか、「死にたい」とか「人は何のために生きるのか」とか、そんな内容。
そんなもん学校で書くな。家で書け。リスクがデカすぎるだろう。

しかし、おそらく当時の私は心のどこで誰かに見られることを期待していたのだと思う。平気でその日記を書いたノートを机の中に開き忘れて家に帰っていた。
そして、ある日、例によって私はいつも通りノートに「助けて助けて助けて…」と大量に書き殴り、そのノートを引き出しに入れ、置いて帰った。

すると、次の日まんまと見つかったのだ。私たち生徒が帰った後、抜き打ちで机の中の調査が行われたのである。私の学校は机の中に教科書などを置きっぱなしにすることが禁止だった。朝登校したら、机の上に教科書と例のノートが積み上げられていた。
やばい。見られたかもしれない。
私は慌ててノートを開く。

ノートの間から、1枚の小さな長方形の紙、おそらく暗記帳の1枚が、ひらひらと落ちてきた。

そこには、大人の文字(それもおそらく男性の文字だろう)で、「助けを求めてはいけない。光は自分で見つけるものだ。もがけ」と書かれていた。

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おそらく先生だろうとは思うが、自分の心のうちを誰だかわからない人に見られてしまった不快感。
実は誰かに知ってほしいと思っていた気持ちを曝け出すことができた開放感。
人のものを勝手に見るなよ、という反抗心。
私のために言葉を認めてくれた、言葉を置いてくれた喜び。

様々な感情が心の中でぐちゃぐちゃになって、どうしたものかと頭を悩ませたが、当時の私はギリ「嬉しい」を優位に感じたのだろう。
それ以来、中学の3年間私はその紙を生徒手帳に入れ、高校、大学と成長しても、家の中にある宝物入れに大切にしまってきた。時々ふと思い出して、蓋を開けて、あの時の感情と言葉を思い出し、なんとなくあの頃の自分を認めてやれる気がして、またしまう。
そんなことを繰り返していた。

そしてアラサーになった今、改めて考えてみる。
あの暗記帳をくれたどこの誰かわからない方のこと。

いや、普通に人のノートを勝手に見るな。
抜き打ち検査があるのは仕方がないし、校則を破っていた私が悪いが、明らかに勉強用ではないノート(だからか?)を勝手に読むな。
想いを認めるな。
今更ちょっと腹が立ってきたし、なんか普通に恥ずかしい。
なぜ私はこんなもの、こんなエピソードを美化して心が温まっていたのか。不思議だ。

それでも、これが10年以上私の心の拠り所になっていたことは嘘じゃない。
ありがとう、多分担任の先生。