静かな朝、寄せる波のようなざわめき。消極的な喧騒のなか、ハンカチをしまって座席を立つ。AirPodsを耳に押し込み、ノイズキャンセルをオンに。誰の、なんの言葉も聞きたくない。賞賛も批判も、まずは私のものにしたい。
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私がスマホを手放す瞬間は、「浴びる」という言葉がふさわしいほど、圧倒される作品を見たあと。熟成されたコンテンツを目にしたあと、スマホから得られる些細な脳への刺激は、コバエのようにうざったい。すべての情報を「そんなことどうでもいい」と一掃してしまう作品は中々お目にかかれないもので、記憶に新しいものでは、映画「THE FIRST SLAM DUNK」だった。
幼い頃から、擦り切れるほど愛読した作品が映画化される。お小遣いだけでは単行本を買えなかった頃、ブックオフを何店舗もハシゴして次の巻を探し回った。自転車でいける1軒と、家族との出かけ先でよる1軒だけが頼り。1年で2-3巻進めばいい方で、最終巻である31巻を手にする頃には大学生になっていた。成長とともに正当にお金を払いたいとオタク脳が備わり、本屋で最終巻までまとめ買いをした。そんな、思い入れが強すぎる作品が映画化されたのだ。
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スクリーンを後にした私は、トイレに立ち寄る元気もなかった。便座に腰掛けたら、二度と動けなくなりそうだったから。夕飯のお惣菜を買おうと思っていたのに、脳のリソース不足によりまっすぐ帰宅する。風呂に入り、何も食べず眠りにつく。目に入るもの、耳にするもの全てが雑念だった。今見てきた映像と、体中に響いた音楽、宝物みたいな2時間に満たされていたかった。
衝撃の大きさは恐らく、情報の粘度、熟成度なのだと思う。
一瞬で消費できるコンテンツは、新鮮でとっつきやすい。コスパだのタイパだの言われるが、結局は「暇つぶしに適しているかどうか」なのだ。ひととき、現実から目をそらすためのコンテンツ。おすすめですよと自動で差し出され、スワイプすれば二度と会わない。そんな邂逅でいい。一々殴られたような衝撃を受けていたら、まともに生活していけない。
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しかし、重い腰を上げれば、人生を変えてしまう作品に出会えることも知っている。High School Musicalをみて専攻を決め、海街diaryで湘南暮らしに憧れた。26年血肉となってくれたSLAM DUNKは、また新しい傷を柱に刻む。
毎日のルーティンに生まれたての私を忘れそうになるとき、果てしなく世界は広がっていることを、まだ見ぬ選択肢があることを思い出させてくれる。あなたがどう生きたって自由で、どう死ぬのが幸福なのかを問いかけてくる。
こだわりを通り越して怨念を感じるほどの作品を目にしたあと、私はスマホを遠くに置く。私と作品の間に、隔てるものは必要ない。
一々殴られていたら生活できない、と心の奥底にしまったアンテナを引っ張り出し、生まれたままの私を、私の感受性を抱きしめていたいから。