「他人に期待しない」。これは私の護符です。一見冷たく、突き放したような言葉に思えるかもしれません。しかし私はこの言葉を常に胸に置くことで助けられてきたことが多くあります。
この言葉はコロナ禍の2020年、Twitterで出会いました。出会ってからの年数は浅いですがこの言葉はすぐに私の悩みを軽くしてくれました。
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何かの節目や、誕生日、何かある時に人にプレゼントをあげたり、何かしてあげることが好きだった私は、コロナ禍で人と会う機会が減った中でより「何かしてあげる」ことを勝手に重視していました。何をあげたら喜んでくれるか、何をしてあげたら為になるのか、複数の友人にそれぞれ考えて、形に残るもの、形には残らないもの、様々なことを「プレゼント」として送っていました(つもりであったかもしれませんが)。
ある日、私の誕生日から半年経った時共通の友人複数人がお祝いをしてくれました。お祝いをしてくれたことはとても嬉しく、その時間も楽しかったのですが、その場で友人が放った言葉に違和感を感じました。「私たち計画性ないから遅くなっちゃったー」、私は友人がどうしたら喜ぶか、なるべく予定を調整し友人の誕生日付近にお祝いできるように、等色々考えて友人が喜ぶようにしていたつもりでした。なのに自分の誕生日は「計画性がないから」の一言で私は沢山考えたのに、考えるに値しなかったのか?と思ってしまいました。ここで私が思ったのが「勝手に期待してしまっていた」ということでした。私はこれだけ考えて、行動したのだから、相手も同様に行動してくれる、という「期待」を勝手に相手に押し付けていたのです。
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この「期待」は残酷なものです。私は「期待」と反した事が行われたことに気分が下がりますし、相手は知らない間に勝手に「期待」され、勝手にもやもやされているのですから。
「他人に期待しない」という言葉に出会ってから、自分の行動に相手の見返りを「期待」することは無意味だと思って行動するようになりました。元々の性格もありますからそうすぐに「期待しない」のは難しいですが、この言葉に出会ったことで、がっかりした事があったとしても「勝手に期待してしまってたんだな、相手にも都合がある、仕方がない」と片付ける事ができるようになりました。
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人によっては、「期待しないこと」は楽で、逃げている。と思われるかもしれません。確かに何事にも「期待しない」のは、最初から全てを諦めているようで逃げ、と思われても仕方ないでしょう。しかし、元々考えすぎ、気にしがちな性格の自分にとってこの言葉は魔法のようでした。その後のことを「期待せず」、今その時に自分がするべきだと思う行動を思い切ってできるようになり、また同時に相手のことを考えることもできるようになった気がします。
「期待しない」ことで相手の行動に依存、左右されずに、そしてまた自分の思う行動と違う相手の行動を尊重する事ができます。「他人に期待しない」この言葉はこれからも私の御守りとして、常に私の精神を保つ役割をしてくれるでしょう。