自分が他の人と比べて「おかしい」と違和感を持ったのは小学3年生のとき。給食を食べるとお腹がぱんぱんに張り、5時間目と6時間目はみんなが眠そうにじっと座っているなか、私は必死に痛みに耐え、ちょこんと椅子に座っていられなかったのである。「なんでみんなは普通に座っておれるんやろ」と一人で悶々としていた。

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学年が上がっていくにつれ、症状はさらに強くなっていった。お腹が張るのはもちろんのこと、「ぐぐぐぐぐ……」と音漏れまでするようになった。授業の始まりと同時に、頭のなかではホイッスルが大きく鳴り響く。さあ、地獄の時間の始まり。鼓動がどくどくとしている。体温が一気に上がる。あぁ、お腹が痛い。どうしよう。そんな思いにも私のお腹は待ったなし。無情にも私の爆音が教室中に響き渡る。ちょうど思春期ということもあり、一回一回鳴り響く地獄音に過敏に反応し、「周りの人はきっと心の中で笑っている」「ばかにしている」と思い込んだ。顔を上げることなんてできなかった。私の心はすでにずたずたなのに、もし誰かが笑っていたらさらに引き裂かれ、もう再構築不能になるとわかっていたから。

ある日、やっとの思いで「私のお腹が変やからつらい」と母に話した。病院に連れて行ってもらった。医師は「きっと過敏性腸症候群やろね。もうこれは付き合っていくしかないからね」と話した。「付き合っていくしかない」。この言葉を聞いた瞬間、崖から突き落とされたような感覚に陥った。9歳からずっとこの症状に悩まされているのに、この先、一生耐えろ!と言っているのかこの医者は!なんでこんなことに悩まされながら生きていかなあかんねん!と怒りと絶望が私を取り巻いた。

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その日以降も私の日常は大きく変わることはなかった。頭の中で大きく鳴り響くホイッスル、「ぐぐぐぐ……」と鳴り響くお腹の音でレッドカード。一時間で5枚はもらったのではないか。試合終了後はズタボロに引き裂かれた心と体中に力を入れていた代償の疲労感、脱力感。限界であった。

なんとかしたいとすがるような思いで、インターネットで「過敏性腸症候群 経験談」と調べた。目を疑った。「わかります!」「つらいですよね!」の単語の数。ああ、そうなんや。同じように悩んでいる人がいるんや。涙が止まらなかった。私は過敏性腸症候群に悩み、他の人は「普通」に生活していると思い込んでいた。こんなにしんどいのは私くらいやろ。1000人に1人くらいやろ。そう卑下していた。でも違うのである。みんな表には出さないけど、生きていくうえで何かに悩み、苦しみを持っているのである。踏ん張りながら生きているのである。他人には理解しづらい、されない悩みがあるかもしれないのである。それに気づいたとき、もう「自分だけがつらい」なんて思わないで生きると心に誓った。お腹が痛いのも、自分であることに変わりない、それが自分なんや!と。

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そんな私も現在は21歳の看護学生である。お腹が痛い自分と付き合っていくには、とにかく健康で生きていく術を身につけたい!と看護に興味を持ったのだ。今は自分なりのお腹の付き合い方を確立でき、過敏性腸症候群が完全に治ったわけではないが、かなり改善された。

あのつらい症状があったから辿り着いた道であり、あのつらい日々があったから周りの人に対して優しくあれるようになった。悩んでいる友達がいたらしっかり話を聞いてあげられるようになった。たしかにつらかった。苦しかった。でもこれがあったから今の私がいるのである。自分のことも大切に、周りの人も大切にできるようになった私はもしかすると1000人に1人の経験をしたのかもしれない。