「私の視界を広げたもの」それは間違いなく「本」だと思う。私は本に囲まれて育った。家の壁は本棚で埋め尽くされ、母、父、六歳上の姉の本が詰まっていた。私にとって本はテレビと同じくらい身近な娯楽だった。ゲームやおもちゃをあまり買ってくれない親も本だけはすぐに買ってくれた。だから本が好きになった。本は私をどこへだって連れていってくれる。違う時代へ、行ったことのない国へ、夢の世界へ、人体の中へ、宇宙の果てへ、そしてどんな本でも必ず新しい発見があり、読む前と読んだ後では違う自分になることができる。

◎          ◎

そんな私の視界を一番広げてくれた本、それは『イリアス』だと思う。『イリアス』は、古代ギリシアの神話トロイア戦争をベースとした世界最古の叙事詩とされ、アカイア勢とトロイア勢の10年にも及ぶ戦争の最後の一年を見事に書き上げた作品である。ギリシアの神々が戦争に介入することで振り回される人間たちの無力さ、そんな中でも必死に生きようとする人々の姿が魅力的だ。この作品と出会ったのは中学生の時で、私は人生の進み方を変えた。読む以前の自分は、どちらかといえば理系教科の方が得意で、動物好きなこともあり将来は動物園や動物病院など、動物に関係する職を考えていた。

しかし、『イリアス』を読み、その中で語られる人々の様子に魅せられた結果、もっと『イリアス』について知りたい、学びたいと強く思うようになった。そして『イリアス』の作者とされているホメロスについて調べたり、トロイア戦争や『イリアス』、同じくホメロスによって作られたとされる『オデュッセイア』に関することを調べたりと、見事に歴史の魅力に取り憑かれた。今は理系選択の道から文系選択の道へと進み、古代ギリシア語で『イリアス』が読めるように古代ギリシア語の勉強をしている。

◎          ◎

なぜここまで魅了されたのかと言えば、世界最古の叙事詩である『イリアス』が今まで読んできたどの本よりも面白かったからに尽きる。世界最古のものが一番面白いというのは、当時中学生の私にはとてつもなく衝撃が強かった。それまで、人は長い時間をかけて成長してきた結果、現代が一番進んでいて、一番良い状態だと思っていた。そんな考えを『イリアス』は根底からひっくり返してしまったのだ。古いものは全て新しいものに劣っていると捉えることは、間違っていると気付かされた。

◎          ◎

古代中国からある「温故知新」という教えを身をもって知った。もちろんこの感性は人それぞれだろう。同じように『イリアス』を読んでも、同じように感じるとは思わない。しかし、私と同じように昔の物事を下にみて、今の物事を上に思っている人は、一度昔のものを色眼鏡なしで見てみると新しい発見に出会えると思う。『イリアス』から派生、影響を受けた作品が古代ローマ時代に生まれ、さらにそれらから新しい作品が生まれていったように、今のものは今までの積み重ねによって成り立っている。そのことに気づかせてくれた『イリアス』が私の視界を広げたものだ。