この世に生を受ける際、へそが曲がって生まれてきてしまったようだ。
幼い頃から冷めた目で親や周りの大人たちを見つめ、幼稚園でも自分が今すべきことに集中ができず、やりたくないことはやらず、常に逆張りをして現状に満足できず、不平不満ばかりを言っていた。友達と映った写真も、人よりもぷっくりとした頬に浮かべた満面の笑み……に見せかけて目の奥は笑っていない。
自閉症スペクトラムのせいなのか、はたまた違う要因か、何が原因なのかは分からない。
こうしてすぐに「なぜ?」「原因は?」と追求する姿勢も人から可愛がられない要因で、クソ真面目と周りから言われていた。
25年生きてきてやっと学習し始めて、最近はユーモアを大事にしようと意気込んで、奇をてらうような言動をして、それはそれで痛々しくて愛らしい。
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小さい子なら、通常はお母さんに抱っこをせがんだり、友達と衝突して泣くとか子供らしい振る舞いを行うものなのに、そういう同年代の子供を見ているとイライラしていた。
小学校低学年の頃に、仲の良かった友達の家で遊んだ時にごっこ遊びか何かでじゃんけんをして自分の役割を決める運びになった。じゃんけんの結果、相手が負けで私が勝ちだった。別にそんな大した勝負事でもないのに、友達は顔をクシャクシャにしてお母さんに泣きついた。
その様子を見ていて、何が悲しいのか、何故ここまで泣く必要があるのか理解できずに頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
でも、今思う。子供の頃に些細なことでも感情表現をしていた方が大人になってから楽に生きられるということ。その子が今どうしているかは知らないけれど、大学に進んだとは聞いた。
何ひとつ秀でたものがないのに変に我慢強くて、大人ぶって逆張りすることが唯一の取り柄な子供だった私は、その頃を取り戻すかのように18歳以降にメンタルの調子を崩した。
今は思ったことを素直に表現する訓練中。長年の習慣を変えるのは、なかなか難しい。
私で3世代目の宗教に対しても小さい時から反骨の感情ばかり持っていた。
「この人達はなぜ変わりもしないことを祈り続けるのだろう、バカなんじゃないか」くらいに思うくらい根っからの無神論者で、実際に母に言ってしまったこともある。
今なら宗教を信仰することはそれぞれの自由だと思えるし、人類がどうしようもない時に神に祈りを捧げてきた理由にも共感するけれど、とにかく異を唱える度に大人から「素直じゃない」と言われたもの。
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私のこれまでの人生は、かがみよかがみにて赤裸々に綴らせてもらっている。
それらを読んで頂けたら分かる通り、「人と同じ」「世間一般」「普通」からかけ離れた生き方をしてきた。自分でもどうしてこんなにへそが曲がっているんだろうと、時折悲しくなる。天邪鬼の生まれ変わりなんじゃないかと疑いたくなるくらいに。
今でもエベエベ笑いながら天邪鬼がチラリと顔を覗かせるのを、必死で押さえつけて毎日を過ごしている。
と思いきや、募集テーマの「1000人に1人の私」に対して「1000人に1人どころではない」とタイトルで抗っている時点で、押さえつけきれていないのがお分かり頂けただろうか。
へそ曲がり・根性曲がり選手権が開催されたら、堂々1位を張れる自信がある。
うわっ……私のへそ、曲がりすぎ……?