人との別れは苦しくて、怖い。
ただ、好きで、それだけで付き合ってた最愛の彼氏と別れた時でさえ、立ち直るのに数年、いや、本当はいまだに影がちらつく。当時は自分が自分でなくなりそうで、自分を嫌いにならないために別れたはずだった。その瞬間は解放された、やっと私は私のために生きる道を選んだんだと。

彼を憎み、ある種の復讐心が私の人生に火をつけた。
自分で生きる術を身につけ、あの頃がセピア色になるほどの時間が経過した。あんなに憎み、恨んでいたのに思い出すのは幸せだった頃の思い出ばかり。もう少し私が大人であったら良かったのだろうかと考えることすらある。

大学卒業したら結婚したいね。
そんな言葉を貰いはしたが、実質婚約もしてなければ結婚なんか夢のまた夢。
そんな相手との別れさえ完全に断ち切ることのできていない私からすると、この人と一生を添い遂げると誓い、祝福された関係が崩壊するというのは一体どれだけのことで、当事者のダメージはいかほどのものか見当もつかない。
「お互いが前を向くための離婚」、たまにそんなポジティブな言葉を聞くこともある。現状を良くしたいという互いの想いが選択させたものであることに変わりはない、しかし、それは家族という形を保つことでは成し得ないものだと思うと、離婚という文字をどうしてもポジティブに捉えることが、今の私には難しい。

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私には可愛いもうすぐ2歳になる甥っ子がいる。
初めて生まれた甥っ子は目に入れても痛くないと思うほどに可愛い。姉は仕事をしながら甥っ子の世話をしており、旦那さんも手伝いはするが大変そうな現状を時たま耳にする。

仮に今姉夫婦が別々の道を歩むと言われたら、と他人なりに色々考える。
世間体はおいといて、姉と甥っ子はどうなるのだろう。どこかに移住し暮らすのだろうが精神的にはどうなのだろう。私なりに姉や甥っ子のことを心配し、少しでも手を貸したいと思うだろう。
しかし、なんとかなるのだろうと客観的に見る自分もいるのだと思う。
私は、その家庭において全くの他人であり、当事者ではない。物理的な痛みを和らげることは手伝えても当事者の痛みを完全に理解することはできない。
私には手伝うことしかできないのだ。

離婚を痛みと捉えているあたり、結婚し、今まさに家庭を分けようと悩んでいる方々からすればまだまだ青く、文字通り結婚したこともないくせにと言われることもあるだろう。
前述した通り、もし私に離婚という選択が必要になった時、 その時の私の心情は間違いなく未来への前向きな気持ちではなく、現状から逃げたい、その一心ではないだろうかと今の私は考える。

結婚生活からするとおままごとのような恋愛しか経験のない私ではあるが、私の求める結婚は間違いなくお互いが好き合い、一生をこの人と過ごしてもいいと思えるような結婚だ。それくらい大好きで、離れがたくて、一生一緒にいたいがための手段として選ぶことが結婚だと思っている。
だからこそ、そこまで思えた人への憎悪や失望を断ち切るための選択が、離婚という方程式になっているため、悲しくてどうしようもなくてネガティブなのだ。

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人のことを好きになることはある。
しかし、一生を一緒に過ごしたいと思えるほどの相手を見つけられずにいる。
もしかしたら自分が頑張れば見つかっているのかもしれない。
しかし、私には別れという体験がいつまで経っても付きまとって離れない。
だからいつまで経っても恋愛にすら本気になれないのだ。

離婚というものを選択するに至る人生になるかどうかも今のところ危ういが、一旦は、そこを前提として話すのではなく、現実はそこまで甘くはないと思うものの、幸せな未来を想像しながら少しずつ恋愛、結婚というものに踏み出していきたい。

それまで離婚とは少しだけ離れて過ごしておこうと思う。