小学生のころからアニメショップが好きなくらい、昔から二次元カルチャーが好き、というかその空気感にしっくりきていた。

とはいえ、通しで観ていたアニメや漫画は数えるほどしかなく、二次元から完全に離れて三次元に目を向けていた時期もあった。しかし今は再び二次元に舞い戻り、店員も客も”オタク”というハッピーな空間に再び足を運んでいる。

特にこの界隈では、公式作品の他に二次創作も盛んだ。もちろん昔から認識はしていたものの、つい最近まで近寄らずにいた。私はなかなか頑固な公式至上主義だったのかもしれない。

◎          ◎

初めて二次創作の存在を知ったのは小学生の頃。通常の漫画コーナーと地続きで販売されており、それをうっかり目にしてしまう。しかも偶然にも私の好きな作品の18禁アレンジだった。

誤解のないように言うとそこは健全なアニメショップだし、同人誌コーナーと通常コーナーの見分けがついていなかったこちらのミスでもある。しかし好きなキャラが裸体になっているのはなかなかの衝撃で、そこから長らく「二次創作=成人向け」というイメージになってしまったのは否めない。だがそれは些細なこと。それよりも大きな理由は、「公式が正しい」という思考が非常に強かったことだと思っている。

ここで基本的なスタンスを申し上げておくと、「二次創作をする人は本当にすごい」。

私にとっては、完全オリジナル作品を作ることよりもハードルが高い。

◎          ◎

なぜならそのキャラや作品の世界観を熟知していないと書けないから。完全オリジナルならキャラも舞台も自分で決められる。しかし二次創作は既に正解があって、思考回路はもちろん、言い回しやちょっとした相槌に少しでもズレがあると大きな違和感に繋がってしまう。それを回避して新たな物語を紡いでいくのはかなりの芸当だ。

しかし尊敬の意は別として、「公式から出されたものが正解」だとも思っていた。白か黒かが今よりもはっきりしていた当時の私は「非公式」にネガティブなイメージが強く、公式を楽しむべきという思考が頭にこびりついていた。

また、二次創作には書き手の主観や思いも反映される。そしてそれは公式の解釈と異なるかもしれず、公式至上主義にとってはその観点からも不安があったのだ。

◎          ◎

小学生頃から二十年弱の間、私と二次創作作品の間には壁があった。しかし崩れ去るときはあっけないほど一瞬だった。

きっかけはTwitterの投稿。

私は同担大歓迎で、推しについての肯定的な意見や私が気づけない細かいポイントを探すためにしばしば推しの名前でサーチをかけている。そのときに見つけたアカウントで、二次創作小説をアップされているかたがいらっしゃった。

当時は推しがピックアップされたイベントが終了した頃。推しへの高ぶった感情を持て余し気味で、もっといろんな姿を見たいと思っていた。

試しに読んでみようかな……とやや恐る恐るタップする。そして1投稿で収まるミニストーリーを読み終えると、過去の投稿を遡り始め、そのかたのリツイートからさらに別の作者さんの作品も覗きにいっていたのである。

あの1タップによって、二次創作のイメージが覆された。面白いのはもちろん、公式ストーリーではふわっとさせて描かれていなかった「こうだったらいいのになあ」と思っている世界がそこに存在していた。

◎          ◎

二次創作は公式のストーリーを補完し、そのキャラをもっと好きになれる文化なのかもしれない、と気づいたのである。

もちろん公式が意図していない部分を拡大解釈している可能性もある。しかし公式がすべてだと考えすぎるのも楽しくない気がしてきた。

昨今、運営とファンの解釈不一致が話題に上る機会も増えている。そういうのを見たりしているうちに「趣味なんだから、自分が良いと思うストーリーを読めばいいのではないか」という気持ちが芽生えてきていた頃だった。私はすごく良いタイミングであの二次創作と出会ったのかもしれないな……。

運命的な出会いを噛みしめていると、ドラえもんの最終回がふと頭に浮かんできた。最終回といっても公式から出されたものではなく、あれも二次創作だった(ただクオリティが高すぎて大事になってしまったようだけど)。

◎          ◎

初めてあれを読んだのは小学生だったはずだが、そういえばこれに関しては「でも公式じゃないから」とは思わなかった。純粋に面白くて、「これ公式にしてもいいんじゃないの」と思ってしまったほどだった(それがマズいから大問題になったんだよ)。

ドラえもんと他作品の違いはなんだったのだろう。私はドラえもんの漫画やアニメにほとんど触れてきておらず、逆に学習漫画でドラえもんを嗜んでいたタイプだった。つまり作品自体に強い思い入れはなく、ゆえに二次創作を受け入れやすかったのかもしれない。

それに学習漫画は正式に許可をとっているものの、本筋のストーリーとは関係ないという点では二次創作と似た要素もある。ということは、知らず知らずのうちに二次創作を読む下地がついていたのかもしれない(これはさすがにこじつけかな)。

◎          ◎

二次創作作品を読むようになって感じているのは、推し活がむしろ充実したということ。そしてさらに嬉しいこととしては、推しに対する解像度が上がったことだった。

もちろん書き手の主観や希望は多少なりとも入っているだろう。しかし違和感なく書けるということは確実に私よりもそのキャラを知っているということでもあるから、私が納得できる展開についてはどんどん追っていきたい。

公式と二次創作の良いところを享受し、より推し活を充実させていければと思う。