私の視界を広げたもの、それはキャロットケーキである。自分の家では、NHKの「グレーテルのかまど」を見る日課があった。妹が料理人の道を目指していたからだ。妹がお菓子を作る工程を一生懸命見る横で、私は(おいしそうだな)と、ただテレビを眺めていた。

しかし、「キャロットケーキ」の特集に、何故か異様に惹かれてしまった。茶色くこんがり焼けたホールケーキ生地の上に、雪みたいに真っ白なクリームが塗られている。その上には砂糖で作られたと思われる、均等に置かれたオレンジの小さなにんじんが。

切り取られたケーキの断面からは、私の好きなナッツ類がお目見えしていた。その映像は私の視界を広げた瞬間であった。(にんじんで作ったケーキが食べてみたい。アメリカの伝統的なお菓子なら日本ではあまり売ってないかもしれない。でも気になる、すっごく食べたい

その日から頭の片隅にキャロットケーキがいた。そもそも野菜で作るケーキなんて想像もしなかったから、どんな味か想像して楽しんだ。そして直観で絶対美味しいものだ、という確固たる自信があった。

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キャロットケーキに憧れて数か月後、埼玉の祖父母の家に行くと共に、東京で寄り道することになった。田舎の地元には残念ながらキャロットケーキを販売する店は見当たらなかった。しかし、東京は別である。調べたら案の定キャロットケーキを販売する店が出てきた。

いくつか出てきた検索結果の中で、家族の生きたい場所も考慮し、原宿にあるカフェを選んだ。そこは妹が食べたいと言った「しあわせのパンケーキ」のすぐ近くにあるカフェであった。

今から約10年前になるが、初めてその店に入った瞬間は忘れられない。入口を入るとすぐに、ケーキドームがいくつか並んでおり、その中には形や色、デコレーションがおしゃれな様々なケーキがあった。そしてお目当てのキャロットケーキも並んでいた。その情景は、ハリーポッターの映画のシーンで見たハニーデュークスのカラフルで目を引くお菓子たちのシーンによく似ていた。

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うきうきした気分でキャロットケーキをテイクアウトし、埼玉に向かう車の中でケーキを食べた。数分前にパンケーキを食べたが、別腹と言わんばかりにあっという間に平らげてしまった。ケーキ生地は想像以上にふんわりと焼きあがっており、ナッツやクルミが歯ごたえのアクセントをくれる。そして、テレビでは分からなかったが、千切りに細かく切られた人参が記事に練り込まれており、それもケーキに優しい甘さを与えていた。ケーキ自体だけで美味しかったが、上に乗っかった白いクリームも衝撃だった。生クリームにクリームチーズとレモンが混ぜ込まれており、しっとりしていて、甘すぎないケーキに甘さを与える魔法になっていた。キャロットケーキは想像以上に美味しかった。そしてさらにキャロットケーキへの探求心が芽生えてしまった。

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現在お菓子作りで一番得意なメニューはキャロットケーキ一択である。バレンタインでもキャロットケーキ、友達の誕生日にもキャロットケーキ、にんじんが安く手に入ったらキャロットケーキ、贈り物としてまず浮かぶのがキャロットケーキである。

それは多くの人に美味しさを知ってほしい、という理由と、「キャロットケーキ美味しい!」と言うと、誰の返事も「え、マジで言ってる?」という否定的な返事が返ってきて、その考えを覆してやりたいという理由からである。実際食べた誰もが「こんなに美味しいとは思わなかった」と言った。プレゼントした後に、大のにんじん嫌いだと知った友達からも「あのケーキ凄い美味しかった。」と感想をもらった。

このことは未だに「ケーキににんじんが入っていたんだよ。」とカミングアウトできていない。キャロットケーキとの出会いで、美味しさを知りたい、という探求心と、旅先でキャロットケーキを探す面白さ、そして気になったらまずは買って食べてみる、という食に関しての扉が開いた。

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また、新たなキャロットケーキの店も訪れると同時に、原宿の店にもその後何度か訪れた。東京で原宿を散策する機会がある時は必ず、その店に立ち寄りキャロットケーキをテイクアウトするのがきまりだった。夏に一人旅で訪れた時は、パイナップルなど夏にちなんだフルーツなどが混ぜ込まれており、夏限定のキャロットケーキの味も感動した。

しかし、コロナが流行し、その影響で原宿の店も閉店してしまった。今は、再びどこかで開店するのを心待ちにしている。コロナが流行る前はいつでも行ける、という余裕があったが、今は少し後悔している。人生何があるか分からないが、気になったら後悔する前に経験してみる大切さを知る良いきっかけになったと思う。