『黙って喋って』(ヒコロヒー/朝日新聞出版)

※朝日新聞出版社よりご恵贈いただきました。

「これは私の話だ」と、読んだ誰もが、必ず一度は思うだろう。
この本には、「女」として生まれた私たちが、たとえ望まなくても抱いてしまう葛藤、ささやかな苦しみが、丁寧に、繊細に、描かれている。18人の女性の恋愛が綴られた、そのそれぞれが、まるで読み手に静かに訴えかけてくるようである。

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どうして、恋人の女友達の存在が許せないのか。
恋人が繰り返す「そんなんじゃない」という説明は、なんにもならない。「そんなんじゃない」友達は、彼の言動に傷つけられることもないし、始まることがないから終わることもなくて、ずっと一緒にいられるのだから。それは一度恋人になった女には手に入れられないもので、恋人よりよっぽど特別なものに感じるのだ。
「かわいいなあ、女の子って感じ」

どうして、自分を好きになってくれる人を好きになることができないのか。
この人を好きになれたら幸せだろうな、と何度も思う。何度も会っているのだから、もちろん嫌いなわけではない。言葉や行動の端々に感じる好意が嫌だというわけではない。少し雑に扱っても許してくれる優しさも、なにも悪くない。

けれど、「嫌いじゃない」「悪くない」と「好き」の間には大きな隔たりがあって、越えられるなら越えたいのに、それを乗り越えるのがなんなのか、自分だってわからない。
「翠さんの靴、それ汚すぎるやろ」

どうして、絶対に幸せになれない相手に惹かれてしまうのか。
優しい人がいい、誠実な人がいい、と大抵の女は口にするが、悪い男に惹かれてしまうのもまた女というものである。悪い男は得てして魅力的なものだ。「モテそうな男」が持っている、自信にあふれた笑顔や、香水の少しスパイシーな香りや、気まぐれで自由な言動に触れてしまったら、たとえ苦しめられるとわかっていても、その引力に逆らうのは難しい。
「ねえ由莉ちゃん」

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どうして、大事にしてくれない人から離れられないのか。
好きな人が優しくしてくれたころの記憶は、甘美な鎖のようである。あの人は本当は優しいのだからと、「早く離れるべき」とアドバイスしてくれる友人相手に、好きな人の擁護をしてしまったりする。本当はもう、私に優しくしてくれた彼はこの世のどこにもいないのだ。気づいていたって認めることができないほど、あるいは認めていても離れることができないほど、好きになってしまったら、もうどうすることもできないのだ。
「ばかだねえ」

どうして、好きな人に好かれたいあまり、自分を見失ってしまうのか。
相手が望むことをしてあげたい、と思うこと自体はなにもおかしなことじゃない。でも、最初はささやかに叶えてあげたかっただけの「望むこと」が、だんだん拡大されていく。本当に相手の望みなのか、もうわからない。

自分の好みでもないのに相手の好きそうな服ばかり選ぶことや、気まぐれに「美味いね」と言われた料理を何度も練習することや、呼び出されたらいつでも応じられるようにスマホを握りしめておくことは、自分自身をゆっくりと水没させてゆく。本当は望まれてもいないのに。まるでそうしていることだけが自分の存在意義であるかのように。
最も怖いのは、自分がどれほど溺れているのか、最中には気付けないことである。そうして突然相手を失った時に残るのは、選びたい服も、食べたい料理も、予定が空いた日にやることもない自分。空っぽにされた自分が残るのである。
「黒じゃなくて青なんだね」

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彼女たちの物語は、とても静かなのに、とても力強い訴えだ。それは、女性たちが自分たちの状況をしっかりと見つめ、強くはなくても、生きていこうとしているからだ。私たちは、うっすらと幸せな日も、ぼんやりと辛い日も、痛いくらい悲しい日も、生きなくてはならないのである。

こんな方におすすめ!

恋が続くための条件はたくさんあるのに、終わるのは簡単です。 それでも、わたしたちは何度も恋を繰り返します。 ⁡ 恋をしたことがある、恋が終わったことがある、すべての人に、この本をおすすめします。

ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」1月31日発売

ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」が1月31日に発売されます。「ヒコロジカルステーション」で連載中の小説を加筆し、さらに書き下ろしも。朝日新聞出版。1760円。