「たった今、ニューヨークで飛行機が、世界貿易センタービルに追突しました」

テレビ画面の向こうからもくもくと上がる黒煙。一瞬にしてビルが見えなくなるほど煙はとぐろを巻き、地面にいる大勢の人達が、悲鳴とともに走って逃げていく様子も見えた。

2001年9月11日。
いつもと変わらぬ何気ない平日の昼間を送るのだろうと、多くの人は思っていただろう。
時は、一瞬にして変わった。
ニューヨークの中心街は止まることない黒煙と、心を引き裂かれるような人々の悲鳴と涙で埋め尽くされるようになった。

「こんなことが起こるなんて……」。それは、日本にいる小学生の私にも映像越しに伝わってくる恐怖と荒野感だった。
数日後、「9.11」と呼ばれるようになり、刻一刻と死者負傷者数が増えてゆき、どうやらテロだったと、一つ一つこの世のものとは信じられないブラックホールが解かれ現実に明らかにされていくようになった。

「あってはならない」と、次々と当時の私が知っている国の首相や専門家たちがコメントを寄せている。日本にいる私や小学校のクラスメートはもちろん、世界中の色々な国のお偉いさんから一般市民まで一斉にニューヨークの惨状や被害に遭った方々に目を向け、祈るように心を寄せた。

その頃、小学校1年生だった私も、「世界でテロが起こったらしい」と理解してその映像が脳裏に刻み込まれ、「なんでこんなことが起こったんだ」「世界が平和になってほしい」と日本にいながら心から願うようになった。

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私は、日本で幼稚園から高校までカトリック系の女子校一貫校で過ごしている。それもあって、幼稚園の時からシスターに英語を教えてもらい、登校時と下校前に毎日必ず、教室で聖歌を歌ったり、イエス・キリストにお祈りする習慣があった。

そんな環境だったので、世界平和やノブレス・オブリージュ、隣人愛という言葉や、祈るという行為は、あたりまえで、身近なものだった。

小学校で宗教の授業の際、「日本に生まれただけで、皆さんは世界の3%くらいの幸せ者なんです」と先生にいわれたのを覚えている。その後、カンボジアやシエラレオネの貧困についてのビデオを皆で見た。こんな経験から、日本でなく世界に目を向ける、(相対的に裕福な)日本人として世界に貢献できることは何か?を考えて小さいながらも行動するノブレス・オブリージュの価値観が、わずかながらも自分の中に息づいていた。

そんな中、ちょうど「9.11」を映像で目の当たりにした。

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23年後。大人になった私は、いま地方の学校を回り地方創生の仕事をしている。たまに北海道のはずれにある、小さな高校で授業をみせてもらうことがある。

「皆さんが大人になる時代は、VUCAと呼ばれ、人生100年時代です。社会人になって、よくもわるくも定年後も働き続けなければいけません。また、日本は急速に進む少子高齢化社会なので、皆さんが沢山働いて溢れる親世代を支えていくような構図になるでしょう。皆さんは年金も貰えるかはわかりません。そんな時、こんな時代を乗り越えるために『協働性』や『自主性』が大切になります。皆さんには、高校時代に、是非この力を養ってほしいと思っています」

地方の学校の小規模教室で、ある先生が、新1年生の学年集会で言葉にしていた。

私は初めてこれを聞いた時、「こんなの聞いて、わくわくする人なんているのだろうか?」と疑問に思ってしまった。たしかに今の現実を映した言葉だ。
「親世代のため」「社会のため」という言葉が、どうしても義務感に聞こえてしまう。それから、極端にいえば、高齢化した親世代のツケを今の若者が埋め合わせするというような、負の遺産の循環のようにも……。

自分の身の置く社会は安心安全なんかでなく、すでに決まっているマイナスをゼロにするような冷めて硬直した現実なんだ。とハッとさせられた。

「自分たち日本人は相対的に恵まれているから、1人1人が世界に目を向け行動し貢献しよう」と育ってきた私からすると、今の学生たちは、学生時代からこんな現実に直面せざるを得ないんだと頭を抱えた。

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少なくとも私が子ども時代を過ごした20年前までは、日本はGDP世界第2位で、親世代に「アメリカに追いつけ追い越せ」の潮流が少しは残っていて、学生の私は、地球上で「恵まれているから」自主性や利他精神に、個人の生活よりも必然と社会に、目が向くような環境にいた。だから、大胆不敵に挑戦できたんだと振り返った。

課題先進地といわれる日本の地方の果てで、時代は変わったと思った。
もう「9.11」で積極的に世界平和を願いアクションするような日本でもないんだ。むしろ日本人に生まれたからこそ、個人の生涯を本当に自己責任でマネジメントしていかなければならず、「世界が」と言っている余裕はないんだと見つめ直した。

しかし、今の日本の若者が、そんな環境に置かれているからこそ、手の届く範囲の日々の小さな挑戦を誰かと一緒に楽しんでいく。手触り感ある地域や社会を自分たちの手で少しずつ作っていく、地域や共同体に絆をもたせ、貢献意欲をもてるように仕事する、他者と協働して新しく創造していく……。それが、願わくば世界にまで繋がっているといいな、と日本の地方を仕事で巡り思い直した。