私は知ったかぶりをするタイプだ。

私の会話で「あ~聞いたことある」「あれね」「知ってる」「わかるわかる」「そうだね~」という言葉が出てきているときは、だいたい知ったかぶりをしている。

「頭がいい」と言われた私は、「分からない」と言えなくなった

私の知ったかぶりの歴史を振り返ると、幼稚園まで遡る。

私は幼い頃から、どんな時も「少し優秀」という立ち位置にいた。特別優秀ではない。しかし、そつなくこなすことができる。もちろん立ち位置を死守するには、それ相応の努力が要したが、他人はそのことを知らない。だからテストで多少良い成績でも、「頭がいいから」で片づけられる。

今思えば、「頭がいい」は呪いの言葉だった。言われ続けた私は、「私は頭がいいんだ」と変な自信をもち、最終的には「ほかの人と私は違う」「私は勉強ができて当たり前」という固定概念が支配した。正直、私が通っていたのは片田舎の学校。そんな小さな世界の「少し優秀」という立ち位置でも、勘違いさせるには十分だった。

固定概念は私の学びすら壊していった。「分からない」と言えなくなったのだ。分からないと言ったら周りがあざ笑うのではないか、無知な人と周りからの評価が下がってしまうのではないか。そんな被害妄想。この被害妄想はどんどん広がり、ついに、どのことについても「分からない」と言えなくなった。ニュース、人気のタレントのこと、スポーツ、アニメ、友人の噂話。あげたらキリがない。

恐ろしいことに、これは社会人になっても続いている。

知らないことは恥ではない。そう思うと、気持ちが軽くなった

知ったかぶりする自分は嫌いだ。それでも、周りのマイナスな反応を気にして、知ったかぶりをしてしまう。負のループに陥り、あきらめの境地にいた私は2か月前、運命的な出会いをした。

「QuizKnock」というメディアを知っているだろうか。QuizKnockは、東京大学などの卒業生・現役生により運営されているメディアだ。YouTubeには、クイズ王の呼び声高い伊沢拓司さんなど、クイズ番組で活躍するクイズプレイヤーが多数出演している。

彼らのYouTubeを見て、私は衝撃を受けた。私と比べものにならないくらい優秀なメンバーから「それどういうこと?」「これってこういうこと?」「詳しく教えて」など教えを乞う言葉が何度も出てきた。知らないことはないのではと思うくらい博識揃い。そのメンバーが疑問を呈し、学び合う。この姿を見て、私はあきらめかけていた「知ったかぶりをする自分」と向き合うようになった。

QuizKnockを知る中で、メンバーの伊沢拓司さんの座右の銘が「無知を恥じず、無知に甘えることを恥じる」と知った。知らないことを恥じるのではなく、知らなかったままにすることを恥じる。

―これじゃん。

知らないことは恥ではない。そうか、周りからマイナスな反応なんかなかったんだ。知らないままでいることのほうがよっぽど恥。そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。

私に知らないことがあっても当たり前、大丈夫だよ

向き合っても、25年かけて染みついたこの考え方は、簡単には抜けない。昨日も知ったかぶりをして、聞けなかったことがある。しかし、上司、隣の席の先輩、よく遊ぶ友達と一人ずつ「分からない」と言える人が増えてきた。

知ったかぶりをしている自分は嫌いだ。

知らないことは恥ではない。優秀な人でも知らないことがある。だったら、私に知らないことがあっても当たり前、大丈夫だよ。そう自分を肯定してあげ、少しずつ「分からない」を発信していきたい。