『黙って喋って』(ヒコロヒー/朝日新聞出版)

※朝日新聞出版社よりご恵贈いただきました。

私は小説が好きだ。小説は、感情も情景も全て言語化してくれる。人間の汚い部分も、実際には声に出せないような恥ずかしいことも、言いたくないけれど密かに抱く感情も、全て文字に現れる。だから自分の心の中を客観的に整理できるし、そんな言葉たちにどこか安心感を覚える。こんなに汚い感情を持っている自分と、それが赤裸々に描かれている小説の登場人物を重ね合わせて親近感が湧いたり、登場人物が迎える物語の結末に救われたりする。

しかしこの本は、そんな小説の醍醐味を一切許してくれない。
ヒコロヒーさんの著作『黙って喋って』だ。

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親近感が湧くのは等身大の主人公ではなく、どうしようもなく愚かで可哀想で、可愛らしい女たち。
思い出されるのは懐かしい純愛ではなく、過去に終止符を打ちきれなかった、中途半端で苦しい過去の記憶。
そこに記されるのはかけられたかった言葉ではなく、言いたくなかったのに口から滑り出てしまった無加工の言葉たち。

欲しい言葉は一切くれないし、清々しいオチもない。ただひとつの教訓は、恋愛とはどこまでも残酷でリアルであること。18の短編小説で構成されているにも関わらず一貫してそんな皮肉を描き続けられるのは、ヒコロヒーさんの思考が一本の芯で真っ直ぐ繋がっているからだと思う。そしてそれら18の物語全てを追体験してしまう私もまた、愚かで可哀想で可愛らしい女なのだ。

「別れを選ぶための分かりやすい理由があれば幾分楽だっただろう、とさえ考えるようになった」(『黙って喋って』p170)

この一文で私は、大号泣して別れた元彼との思い出をわざわざ掘り起こされることになる。

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昨年の春まで約7年付き合っていた同い年の元彼は、誰から見ても大変いい彼氏だった。大学1年生の頃にサークルで知り合い、付き合ってからずっと私に愛情を注いでくれた。毎日必ず可愛いと言ってくれるし、私がどれだけ感情に振り回されても静かに一緒にいてくれる。数えきれないくらい旅行に行き、そのたび費用を多く持ってくれた。それは年数を重ねてもずっとそうで、最初から最後まで、そして今ですらその愛情の強さは変わらない。

違和感は比較的早くから感じていた。居心地はいいけれど、もうひと段階踏み込んだ関係にはなれない。私はいつからか、彼との身体の関係に積極的になれなくなっていた。何度か話し合いの場を設けて正直にその思いを伝えるたび、彼は泣きそうな顔をしながらも「それでも一緒にいたい」「努力する」と言ってくれた。それからその話し合いは度々行われて、彼はその度悲しい顔をして焼き回しのように同じセリフを繰り返し、私は「時間が解決するだろう」と言い訳して向き合うことを拒んだ。彼の悲しそうな顔を見るのが辛くて、でもそれより「こんなにいい人を悲しくさせる私が悪い」と突きつけられるのが嫌で、次第にその話題を避けるようになった。こうして私たちは20代後半を迎えていた。

「好き」だけじゃ繋ぎ止められないこの関係にいつか、終止符を打たないといけない。「そういえば京都で結婚式挙げたいって言ってたよね!」と、ゼクシィを読みながら嬉しそうに語る彼に、私はひとつもワクワクできなかった。

「私が間違えているのかもしれない。いつも、きっと私が間違っているのだろうと思わせられ、ただ、それだとしても、もうどうでも良かった。私が大きな間違いを犯している真っ最中だとしても、彼と離れることができるのであれば、それは、きっと、正しいことのはずだった」(『黙って喋って』p174)

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この話の主人公と同じく、私は彼に別れを切り出した。私が最初からもっと向き合っていればよかった。私が間違えていたのかもしれない。そう思うと、何度拭いても溢れ出る涙でしばらく視界が見えなかった。それでもこの関係を終わらせて、前に進みたいと思う意思は、正しいことのはずだった。

別れてからまもなく1年、お互いに恋人ができない私たちは今でも腐れ縁のように連絡を取り合っている。この小説に描かれている主人公がその先どういう決断をしたのか最後まで描かれていないのと同じように、私の物語にもまだ終わりが見えない。

この小説で描かれていないオチを、「あとは自分でなんとかせい」と読者自身の物語で補完させようとするヒコロヒーさんが、本当にずるい。そんな愛のある丸投げを全て受け取り、オチをつけられた日にはこの本を読み返して、鼻で笑えるくらいの、そんな強い女になりたい。

こんな方におすすめ!

あの日終わらせきれなかった、目を背けてしまった恋愛を一度でもしたことがある人は、18人の女性のうち必ず誰かと心を寄せ合えるはずです。女性だけでなく男性目線でも、「どうしてあのとき彼女は黙っていたんだろう」「何でこんなこと喋っていたんだろう」のこたえがわかり、思い当たることがひとつは見つかると思います。恋愛に対する苦い経験をわざわざ思い出したい、20代後半から30代前半の女性におすすめです。

ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」1月31日発売

ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」が1月31日に発売されます。「ヒコロジカルステーション」で連載中の小説を加筆し、さらに書き下ろしも。朝日新聞出版。1760円。