大学の卒業式には行かなかった。行けなかった。行きたくなかった。
大学1年の春。演劇サークルに入会した。未経験だったが、高校生の頃から観劇は好きだったので即決だった。毎日が充実していた。優しく指導してくれる先輩。個性的だけど集まると強い同期。何もない空間にステージも観客席も自分たちで作り上げていく。千秋楽の日、初めて自分たちの作品を客席から観たとき、「やってきてよかった」と泣いた。サークルが、演劇がとにかく大好きだった。
大学1年の冬。初めてリーダーを任された。人数不足が理由ではあったものの、信頼されていると感じて嬉しかった。少人数で和気藹々と作品を作っていたある日、コロナがやってきた。話し合いの末、上演初日の前日に中止となった。観客席は座られることのないまま取り壊された。
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大学2年の冬。サークルの幹部に任命された。コロナ禍によって活動形態が大きく変わってしまった中での引き継ぎだった。不安もあったが、この同期とならいい方向に進められる確信があった。
大学3年の春。待ち望んだ対面での上演が実現した。千秋楽の日、作品を観た後輩が「やってきてよかった」と泣いていた。コロナ禍を経ても私の好きなサークルの、私の好きなところを後輩に引き継げたことがとても嬉しかった。
大学4年の秋。卒業公演を上演した。数年ぶりに満席になった客席。地方からわざわざ観に来てくれた母親は感涙していた。自分でもとても好きな作品が作れた。
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ただ、卒業公演で私は心が折れてしまった。同期のAくんと衝突してしまったのだ。今思えば、元々あまり波長が合わなかった。お互い最後の公演で、こだわりが出過ぎてしまったのだと思う。ただ、そのときの私は怒り狂っていた。A君の言動がどうしても許せなかった。当時の日記を見返すと連日A君への罵詈雑言が書かれている。
私たち同期は卒業公演後にサークルとは別で劇団を旗揚げし、自主公演を上演する予定だった。しかし、私はA君と演劇をやることは難しいと判断し、劇団を抜けた。悔しかった。あんなに好きだったサークルも、演劇も、こんな形で終わってしまうなんて。
私が抜けた劇団は旗揚げ公演を成功させた、と、後輩から聞いた。気まずくて観に行けなかった。それは言い訳で、A君が作る作品を観たくなかった。なんで私が辞めて、A君は続けてるんだ。お前が辞めろよ。
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私のサークルでは卒業式の日に集まり、思い出の部室と劇場で写真を撮るのが恒例だった。
「16時半集合でいい?」
「りょーかい」
「ごめん!友だちと写真撮ってて遅れる」
グループLINEを未読無視する。
(Aさんがアルバム「卒業式」を作成しました)
(Bさんが27枚の写真を追加しました)
(Cさんが14枚の写真を追加しました)
グループLINEの通知を切る。
A君との個人LINEは上演3日前のA君からの「余計なことを言うのはやめてほしい」という言葉と私の謝罪で時が止まっている。「さよなら」を言わずに去ってしまった自分にまだモヤモヤしている。