かがみよかがみの「人見知り奮闘記」という募集テーマを見て、「私のためのテーマじゃん!」と思うくらいに、極度の人見知りな私。
初対面で、自分を曝け出すなんてとんでもない。
初めましての人の前では、考えすぎて脳みそが擦り切れるんじゃないかというくらいに重ねたシミュレーションを基に、相手の顔色を伺いながら、それはそれは丁寧に言動を選択する。
とにかく失敗しないように、手のひらに「人」を3回書いては飲み込んで、をひたすら繰り返す。
そして終わった後には、「あの言動おかしかった気がする……」「相手の反応あんまり良くなかったな……」と1人で大反省会。
自分でも深く考えすぎだと分かってはいるが、それでも人見知りゆえの緊張や後悔は、どうしようもできないのだ。
◎ ◎
こんなふうに人見知りに悩まされ、短所やコンプレックスを聞かれると、必ずと言っていいほど「極度の人見知りなこと」と答えていた私。
しかし、人見知りの見方が変わる、私にとって大きな出来事と出会ったのだ。
それは、大学の先輩と一緒に食事に行った時のことだった。
その先輩には常日頃からとても良くしてもらっており、人見知りな私もすっかり先輩に懐いて、色々な話ができるようになっていた。
美味しいご飯を食べながら、お酒も進み、少し踏み込んだ話が増えてきた頃。
好きな人のタイプとか、自分との相性とかについて話している流れだった思う。
ふと、自分の好きなところは何?という話題になった。
「うーん……嫌いなところならすぐ答えられるんですけど……」
「じゃあ、嫌いなところは何?」
「極度の人見知りで、人と話すのが下手くそなんですよね」
◎ ◎
ここまでは、いつも通りの、よくある会話だった。
しかし、私の嫌いなところを聞いた先輩は、こう続けたのだ。
「人見知りって、『人を見て知る』って書くでしょ?相手のことをきちんと知って、思いやろうとしてるってこと。それは、貴方が何より優しい証拠だと思うよ」
そんなことを言われるのは初めてだった。
ずっと自分の欠点だと思って忌々しく感じていた人見知りに、そんな見方があるなんて思ってもみなかった。
人見知りって、別に悪いことじゃないんだ。
相手の顔色を伺ってしまうのも、相手を知ろうとする、私なりの努力の形なんだ。
私の人見知りを長所として見てくれた先輩の言葉のおかげで、私は少し息がしやすくなったような気がした。
◎ ◎
それ以降も、相変わらず私は人見知りのままだ。
今でも、事前シミュレーションはするし、手のひらに「人」は書くし、大反省会もする。
我ながらめんどくさいなぁとしょげることもある。
それでも、「人見知りのおかげで、私は私なりに、人に優しくあることができている」と思うと、人見知りも悪いことばかりじゃないと、少し前向きに捉えられるようになってきた。
長所だと言うにはまだまだ程遠いけれど。
いつか、自信をもって、私の良いところだと言えるように。
人見知りの自分の中にある優しさを、失ってしまわないように。
先輩の言葉を胸に、これからも、大事に、大事に、人見知りな私と向き合っていきたい。