就職活動をしたとき、衝撃的だったのは、この世に存在する仕事の多さだ。業種だけで見てみれば、仕事がこの世に生まれる所以は、需要があるからこそだが、当時、私が認識していた「仕事」は、製造業や接客業で、いわゆるBtoC企業しか見えていなかった。が、事細かに見ていけば、この世は消費者の需要と供給の流れに付随した仕事や、それだけでは言い表せないほど複雑な仕事で成り立っている。

就職活動を通して、自分の五感に触れるもの、すべてに付随する仕事に関して思いを馳せるようになった。

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スーパーに行く。スーパーで働いている人。野菜を生産している人。それを運ぶ人。仕入れ価格を決める人。原価と売値を分析してマーケティングを行う人。

名前も知らないような仕事が多くあって、そこで買い物している人たちは誰しも、私が知り得ないような仕事に従事しているかもしれなくて……。そう考えると、この世の仕事と呼ばれるコトの多さに少し気が遠くなる。

最近、私は公共図書館で働いているのだが、毎朝毎夕、出来たてほやほやの新聞が届けられる。それをホッチキスでまとめて、利用者が閲覧できるように棚に設置しておくのだ。

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ありとあらゆる仕事の中で、私は特にニュースを作るという仕事に携わっている人には尊敬の念を抱いている。

朝刊は大体40ページ、スポーツ紙は30ページくらいだろうか。夕刊は10ページ程度。これが毎日。

新聞ってどうやって出来るのだろう。素人の私が考えるに、まずネタを仕入れなければならないのではないか。毎日、紙面を大々的に飾るような事件が起こるわけではないだろうし、40ページすべてを裁判と議会の内容で埋め尽くすわけにもいかない。取材も必須だろうし、言わずもがな紙面を構成するレイアウトと文章の編集、そして推敲と校正校閲。印刷と配達の時間も考慮しなければ。1日24時間、毎日毎日作られる新聞の裏舞台で、きっと神経をすり減らしながら、それでもリアルを伝えようとしている人がいるのだ。

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正月の能登半島地震のとき、地元に帰省しているという報道の人が自前のカメラで地震の様子を撮影し、リポートしていた。お正月に、だ。地震が起こることを予期していたわけでもないだろうに、揺れ始めた瞬間カメラを回して、様子を伝えて、それを世の中に報じるためにリアルタイムでニュースを作っていたのだ。実家ということは、そばに家族もいただろう。揺れる家を飛び出して逃げたかっただろう。それでもその人は、自らの仕事を全うしたのだ。

スタジオが揺れていても状況を伝えるアナウンサー。容赦ない自然災害を、危険と隣り合わせでリポートするリポーター。雨風にやられないようにカメラを回すカメラマンと音声さん。リアルで何が起きているのか、コンマで変わり続ける世界に、常にアンテナを張っている報道スタッフ。きっと、この世で一番「現実逃避」ができない人たちだ。

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ニュースとはリアルである。現実を迅速かつ正確に伝えなければならない。「言論の自由」と「モラル」の間に挟まれながら、少しでも後れを取ったり間違ったことを報じれば、袋叩きに合う。世論は厳しい。時間は待ってくれない。今この瞬間も、現場と向き合い、記事を書いている人がいるのだろう。ニュースに休みは無い。

ニュースにおいて、好き嫌いや賛否はあるかもしれない。この会社は国との癒着がどうとか、報じ方に問題があるとか、私にはよく分からない。ただ、いつも手にする新聞に、彼らの泣き言は書かれていない。つらい現場を目の当たりにしても、民意で謝罪を要求されても、そこには、一分一秒に追われながらリアルを報じた仕事の形跡があるだけだ。