「もしかしたら、どこかで道を踏み違えていたら私もこんな事件を起こしていたかもしれない……」
「この芸能人、体重⚪︎⚪︎kgなんだ……私ももっと痩せなきゃ」
「自然災害や事故で亡くなった遺族のインタビューを観ていると心が痛い……」

ニュースに触れていて、あなたもこんな感情を抱いたことはない?
私は日常茶飯事。
ニュース番組やネットニュースに触れていると、感受性が強いためか感情移入しすぎてしんどくなってしまう。このような状態を「共感疲労」というらしい。
普段は必要時以外はあまり見ないようにして、距離を置いている。見なければ、知らなければ無駄に感情を揺さぶられて不安になることもないから。

もちろん、今社会や世間で何が起こっているのかを知る必要がないわけではないと思う。
そこから学び、今後の具体的な対策を考えるきっかけになるので知っておいた方がいいことも多いだろう。
ただそれ以上に「自衛」として自分のメンタルの健康を保つために、意識的に触れないようにして距離を置くのもライフハックの1つだと思っている。

◎          ◎

スマホ依存症とSNS依存症を自覚してはいるものの、ニュースは現実感が増してメンタルへの影響力が一味違う気がする。
家、病院の待合室、職場など一緒に同じ空間にいる人が見ていれば、見る。1人でいる時にはなるべく見ない。そうすると1人で考え込みすぎずに済む。

子供をトイレで産んで放置した母親、恋愛感情のもつれで起こった事件、いじめでの自死のニュースなどは、その背景に思いを巡らせてしまって辛くなる。
「少しでも早く生きづらさに気付かれていればこの人はこうならずに済んだのではないか?」
「この人は違う世界線の私かもしれない」
と深く考えてしまう。

芸能人の体重や美容整形のニュースは、人によっては全く気にならないと思うけれど、ルックスや体重にトラウマがあったり、敏感な人にとっては強迫観念をあおる要素にもなりうる。
インフルエンサーやアイドルが165cmで40kgというような体型を公表した場合、その度に「羨ましい……の声」「大反響」と題をつけられてネットニュースのトップに上がってくる。常にこういう状況を目の当たりにしたまま日々を過ごしていると、どうしても「これが"正しい"姿なんだ」「痩せ=美徳なんだ」と刷り込みがされてしまうのも当然だと思う。

自然災害はかなり直接的に映像として心の隙間に流れ込んできてしまうような感覚になって、個人的には1番しんどいと感じる。
今までその地域で日常を紡いできた人々が慣れ親しんだ建物が見る影もない姿になったり、遺族が涙を流しながら辛い状況の中インタビューに答えている映像を「ひとつの情報」として私の脳は捉えてくれない。

◎          ◎

自分の地域の天気予報と動物園のパンダがどこで何したとかそれくらいの情報量で十分なのかもしれない。
現代に生きる人間が1日に受け取る情報量は江戸時代の人間の1年分だという。
無理して現代に適応しなくてもええじゃないか。

しんどい人はニュースと距離を置いてみると、QOLとやらが上がるかもしれない。