バレンタインの思い出と言われてすぐ思い出したことがある。
片思いの男の子の下駄箱に入れた?
深夜まで友チョコを作った?
友達のチョコで胸焼けした?
学校の先生の目を盗んで交換した?
初めての彼氏へのバレンタイン、背伸びした手作りチョコで失敗した?
私はいずれでもない。
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10年前の高校1年生の時、私の自作バレンタインチョコを、マンションの上の階に住んでいる友達に笑ってもらって、今でもネタにしてもらっていることだ。
みなさんは、無印良品のコアラパンなるものをご存知だろうか。
私はそいつに大容量パックの板チョコ(ビター)を溶かしたものにかけ、チョコスプレーをかけたものを100均の大容量の袋に詰め込み、みなさまに分配した。
コアラパンとは、無印良品のお菓子売り場に売っている手のひらサイズのパンのことだ。
個包装ではなく、お菓子のファミリーパックより一回りくらいの小さい袋に5.6コ程度入って200円以内というお値段なのに、まあまあ大きいという点に惹かれてコアラパンを採用した。
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言い訳をすると、バレンタインだからと言ってお小遣いや臨時収入はない。毎月5000円のお小遣いの中で夏休みもバレンタインもやりくりしなければならない。
周りはバイトをしていたor材料は親に買ってもらうというケースがほとんどだったため、それなりのクオリティとそれなりの工夫が施されたチョコが出回ると踏んだ。
チロルチョコや他のお菓子の詰め合わせという手も考えたが、なんせ60人分程度を用意する必要があった。狭く深くではなく、浅く広く友人に配り歩くイベントだ。既製品のほうが高くついた。
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2月に入って各地にバレンタインコーナーができると同時に、材料を多く購入できず華やかにできない私がそれっぽく見せるコンテンツを求めてスーパーやカルディを放浪した。
高級品しか売ってないと思っていた無印になんとなく入ったところ、コアラパンと出会った。
バレンタインまで2週間。パンなので賞味期限が短く今買うわけにはいかない。2週間後も残っていることを祈りながらその足でキャンドゥで大容量の袋を購入し、イオンに戻ってバレンタインコーナーで大容量の板チョコとチョコスプレーを買って帰り準備を整えた。
そして迎えた2/13。プレイボーイのロゴ入りの革のスクバに入りきらないほどのコアラパンを収穫し、無事チョコ付きのコアラパンの量産が完了した。
そして翌日、上の階の一家に人数分のコアラパンを輸送した。
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あ、友達というのは母親と同い年の女性である。私の1つ上の、チャラそうな、足が30センチくらいのお兄ちゃんと私の妹と同い年の息子さんがいる。ちなみに弟くんには電車に間に合うデッドラインポイントを教えてもらった。3分前にここにいたらダッシュしたら大丈夫、1分前にエスカレーターにいればなんとかいける、などなどの教えは今の私にも活きている。
私の妹2人も一家にチョコを持って行ったようで、3種類のチョコが上に並ぶことになった。
妹二人は生チョコかなんかの凝ったものを作っていたような気がする。
当時の私は自分のコアラパンのヤバさに気付いておらず、何も考えずに持参したところ、めちゃめちゃ笑われた。
その時、私は自分のヤバさというか、ズレに気づいた。
そして、自分は笑われる存在だと気づいた。
字面だとネガティブだが、私にとってはものすごくポジティブな、大きな転機だった。
その時の私は、ものすごく、心が晴れやかになった。肩の力が抜けた。
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よくいる、天然というか、不思議ちゃんというか、笑いやすい、いじりやすい人の一種なんだと知った。
だから、自分の思うようにテキトーにやって、笑われたら笑われたらそれがいい。むしろ、エンタメを作り出す側になれる。
寒々しいエレベーターホールで、彼女の笑い声を聞きながら、顔を見ながら、まともな普通の女の子でいる努力をやめる決意をした。
天然ちゃんでいいなら、いじられていい存在なら、ありのままでいよう。
周りの目を見るのはやめよう。
自分は、みんなが面白がってくれる、笑われる、笑いやすい存在なんだと気づけた。
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その後も数ヶ月、数年に渡ってコアラパンの話を引き合いに出して笑ってくれることになった。
そしてその後も私は自分を貫き、周りの目を気にせず、同調圧力に負けず、自分の世界で、自分の好きなことを追うようになれた。
何か失敗してもネタにして話さえすれば笑ってもらうようになったため、毎日変にドキドキしなくて済むようになった。
ちなみにだが、それ以降私は無印をよく利用するようになる。そして偶然ではあるが本社の近くにある大学に通うことになる。
したがって、私のバレンタインの思い出はコアラパンである。
真面目に言うなら、バレンタインの思い出はコアラパンを通じて自分を見つけたことである。