高校生の時、よく先生に注意された。若気の至りで生意気な部分もあったのだと思う。俗に言う「目をつけられている」という状況だった。
しかし、他にも明確な理由があった。それは、アイプチをしていたということ。それがくだらない校則違反になっていたのだ。私はずっと一重まぶたがコンプレックスだった。

過去形なのは、今は受け入れているからだ。だがその当時は、まぶたに線が欲しくて欲しくてたまらなくて、温かいタオルと冷たいタオルを交互にまぶたに当てて線を作ってみたり、シャワーを当てながらマッサージをしてみたり、いろいろなことを一生懸命にやった。

アイプチをしていないと、「自分」として人前に出ることが嫌だった。

どうして私の中に母親の遺伝子が組み込まれなかったのか。妹は薄いまぶたなのに、なぜ私はどっぷりと重たいまぶたをしているのか。そういう、考えてもどうしようもないことを考えては鬱々とした。

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雑誌のメイクコーナーの、一重まぶたメイクでは「アイプチで二重を作る」という工程が何よりも1番最初にきた。
私はその雑誌を投げ飛ばしたい気持ちになった。詐欺と変わらないじゃないかと悪態をついた。

くっきり二重まぶたで鼻が高くて顔が小さいというかわいさの模範。
そういう模範を、どこの誰か分からない、しかもそれは1人ではなく大勢の中で、雰囲気をまとって、無言で押し付けられる。まるでアウフグースだ。
かわいさの模範。それは人々の間を、煙のように漂っていたように思う。

そんな一重まぶたボイコットをしていた私に転機が訪れた。
どういう経緯でそうなったのか忘れたが、メイクアップアーティストの松田未来さんという方が一重で、一重のままかわいくメイクをしているインスタライブを見たのだ。松田未来さんは、素材を活かしたメイクをしていた。

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私に救いの手が差し伸べられた。

「一重まぶたでもアイラインやアイシャドウで印象が変わるのか。あぁ、私も素材を活かしたメイクがしてみたい」と思った。

そこからぼってりしたまぶたがどうしたらうまい具合に調理できるのか、インスタライブを見ては同じアイテムを購入して、試作を積み重ねた。そうしていくうちに、かわいいと言ってくれる人が出てきて自信がついた。今でも夫は時々かわいいと言ってくれる。

自信。この時、他者からかわいいと言われることで自信がついた。
元来、成功体験と他者からの評価によって自信がつくものだと思っていた。

最近、でも、と思う。
そもそも、成功体験ができるまでに行動しなければいけないし、失敗すればそれは自信を削ぐものになる。

あの時、まぶたの調理を試作した時、もし周囲にかわいいと言われなかったら、きっと「私なんてマインド」が作動していたことだろう。
他者からの評価だって、他者で自分の器を満たそうとしても、アルコールのように蒸発してすぐに枯渇してしまうものだ。不健康な自信のつけ方だ(私の場合は偶然、結果的に功を奏しているが)。

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こんなふうに書いている私も、別に自信があるとは言えない。かと言って、自信がないとも言えない。ただ、「自分を健康に保てるほどの自信」はあると自負している。

自分の器を自分で満たすこと。自分の感情を自分が一番よく分かってあげること。自分を親友のように大切に扱ってあげること。
こういうことが、健康的な自信に大切なことだと今は思う。

健康的な自信を携えているから、もし他者から「かわいくない」と言われたとしても「そんなことを言うあなたの心がかわいくない」って言い返せるほどのマインドを持てている。健康的な自信はブレないのだ。

私は、父親と母親、祖父や祖母、そして私の知らない大勢のご先祖様たちの、一足飛びにはいかない、大掛かりで紡いでくれたオリジナルの自分を、受け入れることができている。