能登半島地震の被災地に関するニュースを見ていた時、支援物資に関してとある議論が巻き起こっていることを知った。それは、生理用ナプキンの支援に「水や食料の方が大事だ」「女性に配る分、男にも何か配ってくれないと不平等じゃないか」といった意見に対する論争だった。

ちょっと待って。えっ!大の大人がこんなことで言い争ってるの!?
これが正直な感想。
実際に調べてみても案の定、私と同じ意見の人の投稿であふれていて、反対の意見の投稿は消してしまったのか見つけることができなかった。だから、余計に怖くなった。

性別も、年代も、どんな人でどんな生活を送っている人が、冒頭のような意見を持っているのかが分からない。もしかしたら、自分の身近にも同じように生理を軽視している人が多いんじゃないか?ますます怖くなった。

生理に関する悩みは、ほんとにややこしい。
「人それぞれ」が、まさに当てはまるからだ。
重さも、痛みも、量も、症状も、何もかもが人によって違う。しかも月によっても違うから、いつもは軽いのに今回は重いな、とかが当たり前にある。本人でさえ正確に分からないから、男性が全てを確実に理解するのは不可能に近い。

それに、生理に関する捉え方も人それぞれだ。何も気にせず話せる人もいれば、出来れば触れてほしくない人もいる。共有したい人もいれば、隠したい人もいるのだ。

もし私が異性だったら、なんとなくの知識のまま過ごしたくなる気持ちもすごく分かる。でも、分からないから軽視していいとはならないし、思い込みで誰かを傷つけてしまう前に知ろうとする気持ちが大切だと思う。

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個人的なことを言うと、私は今まで生理に対していろんな疑問をもつことが多かった。

例えば中学生の時、休み時間に「私、今生理だから~」と友達に言ったら、「もっと小さい声で喋らないと男子に聞かれちゃうよ!」と注意された。私は、なぜ男子に聞かれたらまずいのか分からなかった。

友達に「ナプキン忘れちゃって、持ってる?」と聞かれて渡したら、「これナプキンじゃなくて、おりものシートじゃん」と言われて、間違えたフリをして笑って誤魔化した。私はナプキンとおりものシートの違いを誰にも教わってないことが恥ずかしかった。
ドラッグストアにナプキンを買いに行くと、どれも花柄やパステルカラーのパッケージで、女の子らしさ生理用品らしさを前面に出したそれを、さらにグレーのレジ袋に個別に詰め替えられることが不思議だった。

もはやそれは「私は生理用品を買いました」と言っているようなものでは?と思った。

一番戸惑ったのは、生理痛に効く薬やナプキンのCMだった。CMに出てくる女の子がどうしてそんなにキラキラしているのかモヤモヤした。

まるで、薬を飲んだら、そのナプキンを使ったら、笑顔で機嫌がいい女の子になれるような演出にざらざらした感情を抱いた。すっぴんで楽な格好でずっとベッドに横になっていたい感情を押し殺して、なんてことない顔をして普段の生活をなんとかこなしているのは私だけなのかもしれない、と割り切れない気持ちになった。

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考えてみたら私のこんな疑問は、案外簡単に解決できるのかもしれない。
学生の時に男子も一緒にリアルな生理について濁さず学んだり、生理用品の種類について教えてもらえてたらよかったんじゃないか。生理用品はシンプルなパッケージにして、見られても抵抗感のないものを作ればいい。生理を忘れて楽しんだり頑張ったりするのもいいけど、無理せずに何もしなくてもいいと寄り添ってくれるCMがあったっていいじゃないか。

どんなに文明が発達したって、男性がリアルな生理を体験することはできない。生理痛を疑似体験できる装置が生まれたって、たかがお腹が痛くなるだけだ。

私の場合、貧血でフラフラして体全体がむくむし、いつもの下着が苦しくなる胸の張り、タイヤを紐で腰に縛り付けてるかのような腰の痛みに襲われる。それに加えて、ナプキンの不快感や下着を汚さないかの不安感が常に付きまとう。

そんな一週間を経験しない男性が心底羨ましい。いや正直、一週間だけじゃない。生理前の満腹中枢がなくなったような爆食モードや、コントロールできない情緒不安定さ、なにより麻酔でも打たれたかのような睡魔に襲われる体験だってしてもらわないと「生理を体験した」とは言ってもらいたくない。

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勘違いしてほしくないのは、決して男性を嫌な気持ちにさせたいわけじゃない。
でも、あのキラキラしている女優さんも、いつも笑顔のあのアイドルも、隣の席のあの人も大事なパートナーだって、女の子はみんな変わらずいつも生理と共に過ごしているんだって分かってほしい。面倒くさいなんて思わないでほしい。女の子だって、できることなら一日も不調がない一ヶ月を過ごしたいのだから。

生理に関しては男女平等なんて不可能だ。だから平等を目指すんじゃなくて、せめて公平に、理解がある人が一人でも増える社会に変わってくれればと心から思う。