「長押しで既読をつけずに読んだミナミからのLINEに、何と返すべきか悩む」

――金原ひとみさんの新刊小説『腹を空かせた勇者ども』に、こんな一文がある。

トークリスト画面を長押しするだけで「既読」をつけずにメッセージを読めるという裏技は、ネットにも出回っていて、もはや裏技とも呼べないものだが、「既読スルー」が罪悪のように言われる現代、使わない手はない。

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私はLINE以前のメールも知っている世代だ。あの頃は良かった。

メールを送って相手から返信がなくても、「まだ気づいてないだけだろう」と希望的観測をもっていられた。自分に都合よく解釈しているといわれればそれまでだが、それで救われている面もあった。

例えば、こちらが送ったメールに相手からの返信がなくて、なんとなく自然消滅してしまった彼氏。振り返れば体よく振られただけなのだが、当時は、「もしかして携帯の不具合で送受信が上手くいかないのかも」などと、今から思えば、そんなことあるわけないじゃん、と自分に突っ込みたくなるような得手勝手な思い込みをしていた。

そうやって無意識のうちに自分が傷つかない術を身につけていた。

ところがLINEは容赦ない。相手が自分のメッセージを読んだのかどうかが瞬時に分かってしまう。既読スルーを苦にして若い女性が自殺といったニュースも流れ、既読したならとにかく一刻も早く返さねば、という無言の圧を受けるようになった。
冒頭に紹介した金原さんの小説のヒロインは、友人からのLINEに何と返すべきか悩んでいるのだが、それは相手がかなりヘヴィーな人生相談をしてきたからだ。

私は基本、LINEは2行以内までの連絡事項しか送らない。そして相手がイエスかノーで答えられること以外聞かない。これは江國香織さんの小説から学んだ。本当に育ちのいい人は、相手が答えに窮するような質問をぶつけない、と。それから長さにも気をつける。Z世代だと、「了解」を「りょ」と短縮するくらいだから、おじさん構文のように長々と書かない。 

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自分本位の言葉をぶつけ、既読スルーされても仕方ない。

私は恋愛に悩んでいた友人から「死にたい」というLINEをもらって、返さなかった。相手に「死にたい」というのは「死ね」と言っているのと同義だと思ったからだ。

そして、既読スルーしてある程度時間が経つと、余計に気まずくなり、申し訳なさも手伝ってどんどん返信しなくなってしまう。

もしこれが、「ちょっと話聞いて」とか「どこかでお茶しない?」だったらすぐ返せた。予定がすぐに見えなくても、「3日後までに考えてまた連絡するね」とか、とりあえずその時分かる範囲のことを返しておくほうが親切だと思うので、そうする。

けれど、相手のことを何も考えず、ただ自分の感情のはけ口のようにLINEを使うのはマズい。LINEを無視されるとLINE通話をしてくる人がいるが、やめた方がいい。スルーされているのが何よりの返事だから。

恋愛で相手に追いかけさせるための手法として「既読スルー」を勧める人がいる。すぐに返信すると、あたかも連絡を待ち構えていたようで、ガツガツした物欲しげな女性に思われてしまうから、ちょっと間を置いて返信しようというものだ。

確かにメールならそれも可能だが、LINEは「既読」が付いた時点で読んでいることはバレているので、不自然に返事をじらすのも、いかにも小手先のテクニックという感じで興覚めのような気もするが。

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既読スルーを罪のように思い、条件反射のようにLINEを返しているが、既読スルーがあまり気にならない人もいる。特に年上の世代で、携帯メールを使っていた時代が長かった人たちは、「既読」の表示がついて1日2日後に返事が来ても、それで何とも思わないそうだ。

むしろ、すぐに返事があると、自分も同じ対応を求められていそうで、気が急くらしい。

そのあたりの感覚は個人によって違うので、様子見していくとよい。