2020年、コロナ禍への突入とともに社会に放たれた。ゆえに、職場の飲み会に参加したことがない。この4年間、忘年会も新年会も歓迎会も、揺さぶり返す波に消えていった。社会に出たときからそれが当たり前、フルリモートで働く社員も多く、日常的なコミュニケーションが少ないことにも慣れてきていた昨年末、上司から一通のメールが届いた。年始に新年会をやるから、出欠を連絡してほしいとのこと。

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迷う。飲み会は「行っちゃえば楽しい」の定番だし、コミュニケーションを取るのは好きな方なのだ。お互いの情報を交換してみたら意外な共通点が見つかったりして、明日からの仕事がやりやすくなるかもしれない。せっかくの機会だし参加してみようかなと思った。

ただ、人見知りというか、心から信頼している数十名の人間を除く全人類をうっすら敬遠している自分にとって、10名以上と初めての交流が発生する機会はハードルが高い。腹を決めるには体力がいるので、また元気な時に「ぜひ参加したい」と伝えようと、ひとまず保留で仕事に戻る。

翌週、雷が落ちる会議のさなか、新年会への参加は諦めた。

社長に詰められたのだろう、機嫌が悪い上司が声を荒らげている。口調と言葉の節々に棘を潜ませて、あらゆる手を使って私達を従わせようとしている。

年の離れた先輩社員に聞けば、あれはうちの会社の良くないところ。発破をかけることが仕事だと思っているよね。若い子から見たらパワハラだと言われても仕方ない。ただ上層部があれだからね…と優しい言葉をくれる。この人が上司ならいいのに、と思うのだが、優しい人は出世しないのよ、と母は言う。

部内の士気は、底辺すれすれまで急降下している。怒鳴られるだけならこっちだってケロッとしていられるのに、懇切丁寧に人を刺すワードを選んで刺してくる。ああ、この人にとって私たちって何なんだろう。

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出欠の連絡は、締め切り当日に連絡した。自分たちの力不足、上層部の仕事の仕方、私ができたこと。心臓に突き立てられたナイフを、押しのけるか受け入れるか、その理由を何度も逡巡したあと、私はとっくの昔に受け入れていて、頑張りたいと思う気持ちも、明日からの仕事がうまくいくようにとか前向きな気持ちも、パリンと割れてしまったなと思った。

これ以上傷口に塩を塗られたら、きっと私は戻ってこられない。年に一度、最もストレスがかかる仕事始めが近づいてくる。その時、ここにいられない。

決心したあとも断り方を散々悩んだ末、なんでこんなことに時間を使わなきゃならないんだ、頼むから仕事をさせてくれよと腹が立ってきて、その怒りのままに丁寧な欠席文を書いて送信した。

年末、実家に帰省し、軽い愚痴のつもりで事の顛末を母に話した。本当は助けてほしかったけど言えなくて、ヘラヘラ話したのがいけなかったのかもしれない。母は一瞬で顔色を変えた。

「あんた、それは業務だよ。パートで働いてた時だって、会とつくものには参加してた。一次会だけ参加して、子どもの世話が〜って帰ってたよ。忘年会と新年会とか、送別会と歓迎会とか、飲み会が続けばどっちかは断ってたけど、仕方ないんだよ、業務だと思って参加してたよ」

これが、一瞬にして私に向けられた厳しい目線の正体。

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メンタルが弱いとか、打たれ弱いとか言われ続けて、勉強して、行動批判と人格批判は異なることをかなり理解したつもりでいた。しかし、母に仕事について厳しいことを言われるとは思わず、驚いた。私の当たり前が当たり前じゃない事を突きつけられて、少し泣いた。

私はちょっとした愚痴のつもりで、普段ろくに連絡もしないから少しでも日常を知ってほしくて、仕事がすんごく辛いこと、ただでさえ年始はストレスがかかるから、新年会という巨大なストレスが確定していたら年始は出勤できないような気がしたこと。

直接言えないけれど本当は助けてほしくて、辛かったねって言ってほしくて。そんなつもりで言ったんだけどな。なんでだろうか、母は私の気持ちを察してくれると期待してしまう。たぶん、今の距離感じゃ難しいことは、私が一番理解している。

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年が明け、新年会も無事に開催されたようだ。参加した後輩から話を聞いたが、イマイチ想像できなかった。私がそこにいたら、笑顔を貼りつけていただろうか、それとも、満たされた帰り道があるのだろうか。

結局のところ、新年会に行かなかったからといって、特に環境に変化はなかった。もとよりコミュニケーションが希薄な部署だ。行っていたら今より良好な関係で働けていたかなとも思うが、自分が抱えられるストレスの範疇を超えていたので後悔はしていない。

この選択が、私にできる精一杯だった。自分が自分の1番の味方でいてあげられて、良かったと思う。