“離婚”という言葉を聞いたとき、真っ先に思い浮かぶのは私の両親である。
でも、私の両親は実際に離婚しているわけではない。家庭内別居というわけでもない。両親は朝起きたら挨拶も交わすし、一緒にご飯も食べるし、休日も共に過ごす。
でも私は今までずっと両親に離婚してほしいと思っていた。
両親が離婚したら悲しくなるだろう。淋しくなるだろう。そうなることはわかっている。でも、私は両親に離婚をしてほしくてたまらなかった。
そんなことを言うのは親不孝だ!
そんなことを言われる両親の身にもなってみろ!
そう思う人ももちろんいるだろう。
でも考えてみてほしい。
両親が毎日のように喧嘩をしていたら?喧嘩を止めようと思っても止められずに、自分に対して不甲斐なさを感じながら生きているとしたら?
八つ当たりをされて「お前なんか産まなければよかった」と言われたら?
あなたならどう思うだろうか。
◎ ◎
最初は私も離婚してほしいと思ったことはなかった。そんなことをされたら淋しい。私のことを愛してくれる人がいなくなるのはとても辛い。
でも喧嘩は止まらない。一定の頻度で起こる。
だから、幼い頃の私はある考えを思いついた。私が泣いて「喧嘩はやめて!」と言えば、両親はきっと私を抱きしめて「怖い思いをさせてごめんね……」と言ってくれるだろうと。
最初はそれでうまくいっていた。
私が泣けば両親は私を慰める。ごめんねと言ってくれる。
でもいつしかその作戦もうまくいかなくなってしまった。
「泣きたいのは私の方だよ!この役立たず!」
泣いてもだめだった。役立たずと言われた。確かに泣いているだけでは何の役にも立たない。でも、必死に両親の喧嘩を止めようとすることがそんなに悪いことなのだろうか。
喧嘩を見ているのも苦しいよ。お母さん。
お父さんも謝っているよ。何がそんなに気に食わないの?
私はいらない子なの?私のために喧嘩をやめてくれないの?
私はどうしたら良かったの?
言っても何か否定的な言葉を言い返されることがわかってきた頃には、私は両親の喧嘩に介入しなくなった。ギャーギャー騒いで、トバッチリも受けるけれど、心のダメージは少なかった。
いや、ダメージはあったけれど、自分が傷ついていることを受け入れたくはなかった。自分が惨めに見えるから。
◎ ◎
両親が私を愛してくれなかったわけじゃない。もちろん私を愛してくれた。
「大好きよ」と言ってくれた。たくさんハグしてくれた。わがままだって聞いてくれた。応援だってしてくれた。
でもそれと等価、もしくはそれ以上に憎しみが私をむしばんだ。
いつ喧嘩が起こるのか分からず、いつも怯えていた。八つ当たりされるのが怖くて何も言い返せなかった。「産まなければよかった」という言葉が頭から離れない。
何で両親の仲が悪いんだろうと考えたところで何も変わらない。
「そんなに喧嘩するなら離婚すればいいじゃん」
「喧嘩を見せつけられる子どもの身にもなって」
ある程度の年齢になったとき、父に言ってみた。でも父は離婚するとは言わなかった。
「お母さんは元々怒りっぽい人だからさ」
そう言った。
いやいやいや…答えになっていないんだけど…と心のなかで思ったが、両親はふたりとも離婚する気はないらしい。
夫婦とはよくわからないなとは思いつつ、一方で喧嘩を目の当たりにした子どものことも考えて欲しいという私の願いは、ここだけの秘密にしておこう。