朝、一人暮らしのアパートで見たテレビニュースには、数々の若者の写真に私の同級生の顔写真が紛れて並んでいた。彼女はひときわ目を引く容姿だったのですぐに分かったが、寝ぼけまなこの私は状況を一瞬に掴むことができなかった。

ベッドを背に、こたつのスイッチをつけてぼんやりとアナウンサーの声を聞いていたら、富山の母から電話がかかった。
「○○ちゃんがニュージーランドの地震に巻き込まれたらしい」

私はようやく理解した。

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みなさんは2011年2月22日に起こったニュージーランド南部地震のことを覚えているだろうか。同じ年に起こった3.11(東日本大震災)のほうが多くの日本人に衝撃を残したから、「そんなこともあったな」と感じる方もいるかもしれない。ただ私にとっては、2.22も3.11と同じぐらい、いや本当のことを言うと、遺族の方々や犠牲者の方々にとっては大変申し訳なく、薄情なことに、自分の中で少しずつ傷が癒え始めていた。

ニュージーランドの地震では、ビルの倒壊によって28人の日本人が犠牲となった。そのうち富山の語学学校の生徒は12人。母の電話を受けて私はすぐ、地震に巻き込まれた彼女の携帯電話に電話をかけた。もちろん、繋がらない。メールも何度も送った。もちろん返事はない。ひしゃげて焦げたビルの中でどうなっているのかやきもきしているうちに、数日後、彼女の死が知らされた。

3月の頭、私は下宿先から富山に戻った。どこから辿ったのか、新聞記者が私の家を訪ねてきた。あまり自己主張をしない彼女のことを家族でもない私が語るのは少しためらったけれど、私が知る彼女の人生の一部を語ることで、地震が奪ったものがどれだけ尊いものだったのかを世の中に伝えることができるかもしれない。そう思い、取材を受けることにした。

同じ吹奏楽部でフルートのソロを吹いた彼女の映像を提供し、彼女がいかに人当たりがよく、気遣いができ、美しい人だったかを語った。後日、地域面に彼女のことが、演奏姿の写真つきで掲載された。

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「ニュースとわたし」というお題が出されたとき、じつはこの個人的な体験について書くことを少しためらった。今書いていることはどちらかというとニュースを「見て」感じたことではなく、ニュースに「関わって」感じたことだからだ。それでも最近見聞きし、体験したことが、私にこのことを約13年ぶりに語らせるに至った。

戦争のニュースが流れれば、国によって片方の国の犠牲者については半生を詳細に語る一方で、もう片方の国の犠牲者は人数だけがニュースとなる。完全に公平なニュースというのは不可能で、為政者や権力者の影響を免れることは難しい。

有名人が自殺をしたら、議論はニュースで伝えられることだけで完結できなくなっている。SNSでさまざまな人がさまざまなことを、時には憶測も交えて語るからだ。

人の死と人生を語るのはとても難しい。それを本人が望んでいるかはもう分からない。語り継ぐことで教訓にしてほしい・世を改めてほしいと考える人もいれば、もうそっとしてほしい人もいる。要望は、亡くなった方々の人数分あるだろう。

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それでも、私たちは同じ過ちを繰り返さないために、歴史としてそれを刻んで共有し、後世に伝えるために語り継ぐのだろう。ただそれが、非業の死を遂げた故人にとって差し支えのないことなのかは分からない。下手をすれば誰かの主張の材料や政治の道具にされる危険性すらある。私たちは日々、亡くなった人のニュースを目や耳に流し込まれる。そのことの重みを考える「いとま」は、せわしない日々の中にはなかなかないのが現状だ。

ニュージーランドで亡くなった彼女のことを思い起こしたのは元旦に起きた能登半島地震がきっかけ。家族ですき焼きを始めようとしたとき、震度5強の揺れを経験した。ミシミシと音を立てる木造の実家の居間で、死を覚悟した。幸い、家に損傷はなかったが、初めて体験した震度にようやく危機感を抱き、東京に戻っていそいそと防災キットを揃えるに至った。

わたしは冒頭で13年前の地震について「薄情なことに、自分の中で少しずつ傷が癒え始めていた」と書いた。じつを言えば、傷が癒えるどころか、あれほど悲惨な映像を何度も見ておきながら「いつか、いつか」と思いつつ、ほとんど備えをしてこなかった。彼女や多くの犠牲者が残してくれた教訓を13年間も無駄にしていたのだ。

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為政者や権力者の影響を免れられない世の中に、犠牲となった人の半生をニュースとして投げ込むこと。そして、投げ込んでおきながら自らの教訓にはできなかったこと。この二つの点において、私がやったことは矛盾に満ち、勝手で、彼女の尊厳を傷つけていたかもしれない。

本当の恐怖を身をもって体験しないと、行動できない情けなさ。今のままの私に人の死を語る資格はないけれど、それでもこの世の全ての人がニュースを必要とする以上、「語らない」と簡単に結論をつけるのではなく、どうすれば故人の尊厳を守りながら教訓を活かせるのか、時間をかけて向き合っていきたい。

最後に。もしも私が不慮の事故などで命を失ったら、私を知る人は私について語ってもかまわない。教訓になるかは分からないけれど、私は、誰かの役に立てる可能性を残せたら本望だと思っている。