私の視野を広げてくれたのは、愛犬のモコである。

まさか、私が犬を飼うことになるとは……。私はずっと犬が苦手だった。子供の頃追いかけ回されたことがトラウマだったし、飼い主を追いすがるような目で見つめてくるのも、心が苦しい。飼い犬のことを「ちゃん」付けで呼び、自分を「ワンちゃんのママ」と自称し、舐めるように可愛がる人たちのことを、冷めた目で眺めていた。

ところが、結婚した夫が大の犬好きだった。夫は、ペットショップで抱っこさせてもらったトイプードルをどうしても置いて帰ることができなかった。毛がもこもこしていることから「モコ」と名付けられた子犬は、そうしてわが家に迎えられた。

私は当初、反対だった。犬は本当に可愛がってもらえる人に飼われるべきだ。「世話は全部自分でやるから」と言う子の約束ほど当てにならないものはないように、うちの夫もそれは三日坊主で終わった。

平日は夫が仕事で遅くなる日が多く、私は本当にしぶしぶ散歩に連れて行き、餌を与え、トイレの始末をした。犬にお愛想をするつもりもなく、必要最低限のことだけを淡々とやった。

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関係に変化があったのは、私が一日家を空けていたときのことだ。

夫が言うには、モコはその間ずっと私のことを探していたらしい。そして私が帰宅すると、百年ぶりに再会した恋人のように、狂喜乱舞した。

その後しばらくして、家族でドッグランに行ったとき、大きな犬が近づいて来て私が尻込みしたを察知してか、モコは私の矢面に立ち、今まで聞いたこともないような低い唸り声で相手を威嚇した。小さな体を張ってめいっぱいの声を出し、私のご主人様に近づくな、と言わんばかりに。それを見ていた周囲の人が「賢いワンちゃんだね。おうちの人を守っているのだね」と誉めてくれた。

もともと犬が嫌いだった人が、飼い始めたのを機にぞっこんになるというのは、珍しいことではないという。私も、それ以来、モコが愛おしくてたまらない。以心伝心というか、向こうも徐々に懐いてくれるようになった。そうなるとますます可愛い。

近頃では家族に呆れられながら、寝るのも一緒である。犬は人類最良の友という言葉があるが、それが身に染みて分かった。

犬を飼う人が口を揃えて言うことであるが、こんなに気持ちが通うとは驚きである。

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犬というのは、基本的に機嫌のいい生き物である。

毎日、散歩してご飯を食べて寝る。それだけで満足。その散歩道がたとえ同じ道でも、ご飯が代わり映えしなくても文句は言わない。それどころか、まるで初めて行く場所、初めて食べるもののように、そのたびに全身全霊で喜びを表す。

それに引きかえ人間はどうだろうか? そういう日常のささやかなありがたさに慣れすぎてしまって、不平不満ばかりこぼしてしまう。

犬のようにいつも上機嫌で暮らすこと。それが私が犬から学んだことである。

犬は散歩中、しょっちゅう立ち止まって匂いをかぐ。こちらはつい、早く行こうと急かしてしまう。けれど、果たしてそんなに急ぐ必要が本当にあるだろうか? 

そこで私も立ち止まってみる。あれ、こんなところにタンポポの花が咲いている。この匂いは沈丁花だろうか? 私たちはいつも時間に追われ、時間を効率よく使うことばかり考えている。でも犬はその対極にいる。モコと一緒に歩かなかったら見過ごしてしまった景色や季節の移ろいがたくさんあっただろう。

モコは今年歳になり、もうすぐ私の年齢を追い越してしまう。今までは私が彼女の母だったが、今ではすっかり彼女が私の母である。私が困っているときや疲れているときに、モコがこちらを心配そうに、あるいは労わるような表情で見つめてくるとき、それを感じるのだ。