今もなお戦いが続いているコロナ感染症。感染が確認され、未知の感染症として恐れられていたあの時から今まで、大きな混乱をニュースとともに過ごしてきたように思う。

たしかに、未知の感染症というと、いつ何が起きてもおかしくないと最悪のケースを考えるのは妥当だろう。豪華客船の隔離も、念入りに消毒を繰り返す施設も、私たちに手洗いや不要不急の外出を控えるように呼びかけたことも、間違っていたとは言わない。

しかし、報道の仕方は、少し誇張しすぎていたのではないかと感じていた。

どこか漠然と怖いという印象を与える伝え方。「専門家の意見を」と出演している専門医の見解を、都合のいいように切り取る見出し。ただ人々を怖さに陥れ、印象操作をしたいような思惑が感じられるほどだ。

危機感を持って行動するのは正しいと思う。知識を正しく入れて、メリットもデメリットもわかった上での行動は大切だ。

しかし、本来報道によって私たちが起こす行動は、自分で考えたものであってほしい。

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感染拡大とともに急速に進められたワクチンの開発。接種が早期から始まり、接種していれば大丈夫だ、安心できるというような考えが浸透した。

継続的かつ定期的な接種で効果が持続する、というような情報をニュースは伝え始める。接種の対象になる人、接種を考えたほうが良い人、順次開始になる国民への接種案内、感染者数とともにワクチン関連の内容が伝えられた。年齢や状況により打てる時期が異なった私たち。今かと順番を待っている間にも状況は変わっていく。

次第に副作用について取り上げられるようになった。ワクチン接種によって起きた健康被害。大きな事象だけを一時的に扱い、あくまでも一例だから、と変わらず接種をすすめる報道がなされていた。

私は疑問に思う。私たちの体に直接関係することであれば、効果も副作用も同じくらいの割合で報道すべきなのではないだろうか、と。

極稀に起こる重篤な副作用をピックアップして、大きく報じれば、コロナ感染症やワクチン接種についての怖さは大きくなる。マイナスな印象を受け取るニュースはインパクトが大きい。重篤な報道1回で、大きく恐怖心を煽られた人は少なくないと思う。

だが、私たちが大切にしなければいけないのは、その後の報道だ。インパクトのある報道はあくまでも関心を向けるきっかけである。そこから詳しく経緯をたどり、本当に危険性があるのかを調べて報道するのがニュースの責任だと思う。

今の報道は、インパクトだけ与えて、あとは自分が行動するかどうかにゆだねている。研究機関が発表したデータは専門的で、正しく読める人は多くないだろう。そこをわかりやすく伝えるために、ニュースや報道というものが存在するのではないだろうか。

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印象付け、注意喚起のみを行っている報道は、私たちを脅かしていることと何が違うのだろう。

こんな時の正しい情報源は、SNSであることも多くあった。実際に現場で活躍している医師や看護師、情報を正しく理解しているユーザーによって、情報の正しい解釈や対応が提示される現状。それを、後追いで報道するワイドショー。

本来多くの人が知るべき情報が伝わる順番が逆であるとは思わないのだろうか。私たちにネットリテラシーを求めるのであれば、まず先陣を切って正しい情報を伝えるべきなのではないだろうかと私は考える。

多くの人が今も影響を与えられているコロナ感染症に関する報道。感染症との向き合い方がわかり始めた今は、報道で伝えられる機会もめっきり減った。

頻度は減ったが、これくらいの距離がちょうどよいのではないかという印象も受ける。頭の片隅に置いておき、興味が出るまで時間を待つのがもっとも効果的だろう。

まだ完全には収束しているといえないので、報道はこれからも続く。私たちが、情報に踊らされることなく、正しい情報を得られる仕組みになることを願っている。