28歳にもなって人に好意を持たれることは嬉しいことだ。
28歳にもなって人から好意を持たれるなどむしろありがたいと思うべきだ。
もうあなたに選んでる時間などない。
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そう、私は世間一般のタイムリミットに迫っている。
焦らなきゃとか、早くしないと子供が産めなくなるよとか。
いつの時代の話だよ、と思いつつも内心焦りが全くないわけではない。
じゃあ妥協するの?と問いかけるが、そもそもこの歳になると
相手すら私で妥協しているかもしれないわけで。
そんな騙し合いのような愛で人生を満たすことに意味はあるのだろうか。
ロマンスに憧れる割に、簡単に人に付き合ってみる?なんて言ってみたり。
かといって、手を差し伸べられても簡単に握り返すことさえできない。
本当の恋心はいつだって満たされないものばかりで、卵のまま壊す日々。
素直に恋愛していた頃の気持ちを忘れた28歳恋愛初心者、それが私である。
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彼氏という存在がいなくなって早6年。
大学を卒業してからここまで誰1人として付き合ってこなかった私。
唯一の彼氏との別れが辛すぎた大学院生時代は、就活と研究に没頭することで恋愛に強制的に背を向けていた。
社会人になると同時にコロナに人との接触を遮断され、少しずつ恋愛に傾いていた気持ちを発散しなかった日々。
そうしているうちにあっという間に20代も後半へと差し掛かった。
小さな頃からの先入観というのは恐ろしいもので、無意識のうちに自分の女としてのリミットが近づいてきた私は、そう思いたくないのに相手のことをステータスで見てしまうことが増えた。
だからと言って、ステータスが良ければ付き合うわけではなかった。
社会人になってから現在に至るまでが数人の人に好意を示されたことがある。
この人と結婚すればいい生活ができるよな、という人もいた。
けれど、いくらステータスが良くても付き合うことすら踏み切れなかった。
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私の根本はやはり、好きだという感情の向いた人と付き合うことなのだ。
それでも、いいな、と思う人といい雰囲気になったことはない。
否、そうなるわけがない。
私が好意を寄せる相手、その相手には十中八九彼女がいるのだ。
すっかり拗れた恋愛観。拗らせマスター爆誕である。
自分でもどうしようもないと文字を連ねながら乾いた笑いが喉の奥で鳴る。
はじめに断っておくと、いいな、そう思った相手と彼女との仲を割く気は毛頭ない。
彼らはどちらかというと推しに近く、私的には推しが幸せになるのが一番なのだ。
もちろん相手が私だったら私も幸せだから一番最高なのだが、彼らの幸せを壊すくらいなら私の幸せなどなくてもいい。
アプローチするのも烏滸がましく、遠くから静かに愛でるのだ。
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最近は拗らせをさらに拗らせ人の気持ちを軽く試そうとしている。
「付き合ってみる?」
「ありだね」
そんな言葉を酔っぱらった席で交わし、次の日には何もなかったかのように話す。
相手から問い詰められることもないが、冷静にみるとヤバいやつである。
こんな人間は1000人に1人もいたら大変だ。
せめて10万人に一人くらいの確率で十分だと我ながら呆れる。
人と深く繋がるのが怖くて、好意に向き合うこともできない臆病者。
こんな私が結婚など、夢のまた夢だ。
人と素直に向き合うことから始めよう。
偶然にも、第一印象がいいなと思った男性が、共通の先輩経由で私に好意を持っているらしいことを耳にした。
アクションを起こすほど好きか、と言われたらそこはステイ、なのだが。
もしアクションを起こしてくれるのなら、10万人に一人の確率でもお断りな私から足を洗って向き合ってる。
他力本願で本当にごめんなさい。
でも、もしよかったら恋愛拗らせマスターな私を救ってくれたりしませんか?