1年ぶりに会った元担任の先生は私の名前を呼んではくれなかった。
卒業生として訪れた高校の学園祭。人混みの中でやっと探し出した先生にお久しぶりですと声をかけた。「元気にしてる?」とか「先生は今どこの担任をしてるんですか」とかそういう話ができると思っていた。

だけど、突然声をかけられた先生は、数秒困った顔をした後、「ごめんな、今急いでて」と足早にどこかへ行ってしまった。忙しかったのは本当だろう。でも、せめて、あの時みたいに苗字を呼んでほしかった。じゃなきゃ、私が忘れられていたみたいじゃないか。卒業してまだ1年も経たないというのに。

持ち上がりのクラスだった私達のクラスの担任は3年間ずっとその先生だった。

授業の時によく、元教え子の面白エピソードを話してくれて、教師歴うん十年でも教え子のことは覚えているものなんだなと嬉しかったのに。学園祭の準備を頑張ったり、校外活動にも積極的に取り組んだり、かと思えば成績が伸び悩んで先生と話し合ったりもしたのに。髪だって染めず、メイクもほぼしてないあのときのままの私なのに。

所詮、私も先生の何千人の生徒の1人に過ぎないよなと、決して責めるわけでもなく、先生が私を思い出せなくなったことをただ切なく思った。

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それからしばらくして私の20歳の誕生日が来た。いくつかのおめでとうLINEの1つに、なんのアイコンも登録されていない先生のアカウントがあった。

私の顔も名前も覚えてないのに、誕生日のLINEはくれるのかとひねくれたことを思った。

先生は高校の3年間、クラス全員の誕生日を祝ってくれていた。いい先生だった。男性の先生でちょっとデリカシーがないところもあったけれど、ノリがよく、でも生徒に問題解かせている間は居眠りしてしまうような、程よく無気力な、同じ空間にいて気が楽な先生だった。
このLINEもあの時からの名残、教師としての義務のLINEなんだろうか。誕生日も覚えているというより“毎年繰り返す”で設定したカレンダーのリマインドに知らされただけだろう。だとしたら節目の今年が最後かな。でないと先生は毎日、顔も分からない何千人かの教え子の誰かしらにおめでとうを言わなければならなくなる。

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まあそれでいい。私達は卒業したんだ。それを望まなくても進まなくてはいけない。

だから次の誕生日、先生からのLINEが来なくても、先生への印象が悪くなることはない。ただ、待ってくれない時の流れを少し恨めしく思って、また1年遠ざかってしまった高校の3年間を寂しく思って、今を見つめよう。

そうしたらいつか、先生にとっての私が何千人に1人の生徒にすぎないように、私にとっても先生はこれから千人、2千人と数多く出会う人の1人にすぎなくなっていくから。

その時また母校に先生に会いに行こう。

そして、その時は自信を持って言うんだ。
「あれからたくさんの人と出会った私は高校生の頃とは比べものにならない程成長したでしょう?」