「さようなら」
相手が電話口で言う。
私は何も返す言葉が出なかった。
それまでは何度となくやりとりしていたものが、最後になるなんて考えもしなかった。
でも最後になるときは一瞬で、いつもそう思っていなきゃダメなんだ。
そのまま音信不通に。
既読がつくことも、電波が繋がることもなかった。
それが彼との最後のお別れになった。
◎ ◎
ことの発端はほんの些細なこと。
飲み会で出会った彼は気さくに話しかけてくれて、優しかった。
でも彼には8年付き合っている彼女がいた。
8年経っているのに結婚していない。
結婚適齢期にあるのに、結構変わっていると思ったものだ。
そんな彼と交際が始まったのは、出会って間もない頃だった。
彼は8年経った彼女ともう恋愛関係にはないと言う。
でも一緒に住んでいる。兄弟みたいなものだと。
そして、私に対して恋愛感情があると言う。
◎ ◎
今振り返れば本当に言葉巧みな人だった。
言語化が苦手だと本人は言うが、めちゃくちゃ上手だった。
言葉たくみな彼にどんどん惹き込まれ、言葉のひとつ足りとも疑うことはなかった。
そして、一緒に住もうと約束し、不動産まで契約した。
物件の話も一緒に住んだ後の話、引越しの話もたくさんした。
でも、彼は引っ越す気もさらさらなかったのだ。
それがわかったのは、彼から別れを突然告げられた時。
8年付き合っている彼女がガンで、余命わずか。家族みたいな情があるから、今は見捨てられないと。
◎ ◎
私への愛情より彼女への情が上回ったと言った。
私は納得できなかった。
そしてその違和感は見事に当たった。
相手の女の人と電話越しに直接話す。
すると病気なんてまるでない。
彼が話していたことは全部が真っ赤な嘘だった。
彼は相手の女の人にも嘘を、私にも嘘をついていたのだ。
その嘘がバレ修羅場に。
彼は相手の女性からも振られ、言葉の通り、二兎を追うものは一頭も得ず状態になった。
真実が明らかになった後、彼と電話で話した。
傷つけてすみません、全部嘘でしたと彼は言った。
◎ ◎
私は言葉が出なかった。
全部嘘という言葉さえ、嘘だと思った。
まだ状況が受け入れられない中で、最後に彼はさようならと別れを告げた。
私は何も返せず終わった。
普通の失恋とは違う、憎しみや怒りなどを味わった。
時間は最高の薬とは言ったもので、あんなに好きだった気持ちも時間とともに忘れていく。
だけど、最後にさようならを言えなかったのがなぜか心残り。
2人以上の人格を持っているみたいで、きっとこれからも生きるのしんどいだろうな。
変な詐欺師になりやしないだろうか。
無駄に彼への心配が募る。
◎ ◎
とんでもなく私の心は傷ついた。
でも、思い出すのは楽しかった記憶ばかりで、新たな道の中で幸せに生きていることを願うばかり。
人に裏切られたことはそれまでそんなになかった。
そして、私は交際期間も短かったから軽傷で済んだ。
本当に守られていて幸運だったのだと思う。
早めにそう伝えてくれた彼なりの優しさだったのかもしれない。