先日、会社で新聞を読んでいたときのこと。

ページをめくると、印象的な写真が目に飛び込んできた。

それは、着物を写したものだった。2着が壁に掛けられており、それを解説する女性が脇に立っている。

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私がこの写真に興味を惹かれたのは、学生時代のアルバイトが影響したのだと思う。成人式の振袖の前撮りをするスタジオで、2年ほど働いていたのだ。この期間、様々な柄の振袖を見てきた。花や鞠は定番で、蝶や鶴があしらわれたものも多い。珍しい柄だと、虎や孔雀が描かれていることもあった。

しかしこの写真に写る2着は、どちらも見慣れない柄で、私にとっては新鮮だった。写真が小さくて一目では何の柄だか分からなかったが、華やかでユニークなデザインだと感じた。

そしてその記事の見出しに視線を移し、一瞬戸惑ってしまった。「戦争柄着物」という文言が書かれていたからである。

私が珍しくて素敵だと感じたのは、戦争をテーマに描かれた柄だったのだ。

記事を読んでみると、戦争柄着物について研究をしている元大学教授がトークショーを行ったという内容だった。もっと詳しく知りたいと思い、「戦争柄 着物」で検索をかけた。

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明治から昭和にかけて作られ、先述の元教授が調査しただけでも2000点以上に上るのだという。そのなかに、戦争の悲惨さを描いたものは一つもなかったそうだ。あくまで朗らかで勇壮な雰囲気で、兵士や戦闘機が描かれていた。

国が戦争の機運を高めるためにそれらを推奨したのかというと、そういうわけでもないらしい。戦争協力に関する文書に、そのような記述は一切無かったのだという。

単におしゃれとして。個性的な着物を作って売りたい業者と、それをより良く仕上げたい職人、そして珍しい柄の商品を手にしたい消費者の思いが合致し、流行が生まれたと考えられている。

ただ、会社として高い売り上げを出したかっただけで。

ただ、職人として良い製品を作り上げたかっただけで。

ただ、一般市民としてユニークなデザインの着物を身につけたかっただけで。

彼らは戦意の高揚に一役買ってしまった、とも言えてしまう。

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今、私が生きている社会で当たり前になっている「戦争はあってはいけない」という考え方は、この時代には無かったことだろう。むしろ国のために戦うことが美徳とされていたはずだ。彼らが機運向上させてしまう可能性や、それが悪いことだということに気づかなかったのは、仕方なかったのだろうと思う。

それでも、加担してしまったという事実は変わらない。

私がアルバイト中に見ていた、華やかでクールな着物の数々。そしてそれを着た笑顔のお嬢様方と、それらの商品を販売する私たち。

それぞれが罪を背負わず無邪気に存在出来るのは、戦争がない場所で生きていられているおかげなのだ。もし戦争のある社会でこの仕事をしていたら、私も無意識のうちに加担してしまっていたのかもしれない。そう思うと、背筋がゾッとした。

今の生活のありがたさを忘れずに、けれどそれが当たり前なんだという意識も失わずにいなければならない。

華やかだけれど罪深い着物の写真が、その気持ちを強めてくれた。