テレビ画面に並ぶ、10字にも満たないニュースの見出し。その1つ1つが、今、私が生きている世界、新聞を流し読みしながら食パンとゆで卵をかじり、オレンジジュースに手を伸ばす1秒と、同じ時間軸で起きていることだと実感したのは、高校生の頃だった。

当時の私は、定期テストの結果とか、好きな人が誰と仲良くしていたとかそんなことばかりで頭がいっぱいだった。毎朝NHKのニュースを見ていたけれど、エンタメが流れる民放は遅刻するでしょと禁止されていたから、というだけ。ニュース一覧が終わるまでには朝食を食べ終えなければ、と時計代わりにしていた。

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そんな暮らしに突如飛び込んできた事件が、ニュースの見方を変えた。2015年の1月、ISISが日本人2人を拘束し、身代金約230億円を要求した。

それまで耳にしていたニュースの原稿は、地球のどこか遠い国の出来事、ドラマのなかで起きていることと同じくらい現実味がなかった。そのため、同じ日本人が、たった今世界のどこかで事件に巻き込まれている事実はかなりショッキングで、一瞬で全身が恐怖に包まれ、同時に、助けなくちゃ、と強烈な使命感にかられた。

お金を払えば解放されるなら、力を合わせるべきだ。実際に、要求された金額を1億3000万人で割るなら、1人いくら出せばいいのか計算した記憶もある。身代金の支払い期限であった72時間は気が気でなく、いつも通りの学校生活を送りながらも、ふと思い出しては焦燥感に駆られていたのだった。

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事件から9年、海外に渡航する機会もあり、ニュースで報じられていることは、今この瞬間現実に起きているのだということ、「戦争」「革命」「運動」と一言で語られる出来事の裏には、途方も無い命があることを知ったつもりだ。

しかし、いつも忘れてしまう。2年前に始まった軍事侵攻も、中東で何が起きているのかも、ニュースに触れショックを受け心を痛めるのに、次の瞬間には明日の仕事とか些末な出来事が脳を侵食して、なってはならない当たり前に近づいてしまう。

私たちを取り巻く環境は9年前から大きく変わり、媒体をきちんと見極めれば、リアルタイムな情報にアクセスできるようになった。さらに、「今何が起きているのか」「どんな影響が予測されるか」を、国際関係や歴史を踏まえながら体系的に解説してくれる媒体もある。テレビと新聞のつまみ食いしかしていなかった頃と比べて、便利で実のある情報を得られる世界になったと思うが、私にとっては必ずしもよい変化ではなかったように思う。

ショッキングな情報を追い続けるには体力がいる。不安だけが膨らむ夜もある。世界で起きていることに向き合えない自分を責める気持ちと、心を守らなくてはと思う気持ちの間で葛藤しているが、適切な距離感と責任を持っていたいと思う。