あの春、私は人生で一番その季節がやってくるのを待ち焦がれていたように思う。あの時の気持ちは忘れることはない。今からもう8年も前、私は2016年の春を心の底から待望していた。当時、私は世界の淵に居るような気がしていた。

最近、かの有名なサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という本を読んだが、その主人公が当時の私にそっくりだと感じた。

主人公は進路未定のいわゆるプー太郎で、世間に不平不満を漏らしながら生きている。

ライ麦畑というのは、そのどっさりと垂れ下がるように生い茂る穂のお陰で畑の「淵」を見ることができない。主人公はまるで自分はその畑の落ちるか落ちないかギリギリの淵に存在していて、誰か自分の進路を、未来をも決めてくれないかと、なかば投げやりに他力本願に切望した人生を送っている。

そんなお話を読んで、あのころの自分もそんな気持であったと思いをはせた。常に不安定に生きていたのだ。

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当時、高校1年生であった私はテニス部のマネージャーに属していた。先輩の女性マネージャーさんが2人いて、私はいつもその隅っこで小さく笑っていた。面白くなくても、元気じゃなくても元気なふりをしていたのは、今思うとただ認めて欲しかったからだった。
自分自身の何かを変えたいという「キラキラした日々」を夢想して、思い切って飛び込んでみた先でも、私はちっとも変わらなかった。人はそうすぐに変わらないのだと思った。だからこそ、続けようとも。どんなに居場所がなくても、私1人だけでも存在していようとテニスコートの隅で誓った。

冬は人の心までをも荒ませる威力があると知ったのもその年が初めてだったし、だからこそ春が待ち遠しかった。
今になって、もっと人を「信用」すればよかったなとつくづく思う。自分の願望をいうのが怖かったし、思っていることを感じ取られることにおびえて、本当の自分を出せないでいた。1つの部活に属していても、なんだかここじゃないなという悲しい気持ちは、今になって思うと自分で自分を悲劇のヒロインに作り替えていたのだと思う。

悲しい気持ちは、春が変えてくれると信じていた。春が来ると、新しい後輩がやってくる。新入生歓迎会の準備に明け暮れて、私は絶対にだれかこの気持ちを共有できるような子が入ってくるのだと胸をときめかせていた。

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春はゆっくりとやってきて、桜の匂いを含んだ空気が心地よくて、私はやっぱり待ち焦がれたこの季節が好きだとあの頃も思っていた。
新入生歓迎会の後、体育館の横で扉から一斉にあふれ出てくる1年生にビラ配りをしていた私は、2組の女の子と目が合った。そして声をかけた。
「マネージャーやらない?」
きょとんとした瞳に、私はもしかしたらこの子達かもしれない、と思った。今思うとすべて縁であり、タイミングと運だった。

それから話がトントン拍子に進んで、後に彼女たちは入部した。先輩が引退し、新しい体制となった部も、今までとは違う張り合いが生まれた。

これまでとは違う新しい気持ちで、その季節から笑えるようになった。それまでの私は、常に周りの目を気にして生きていたように思う。

あの春に戻れるのなら、私は独りぼっちだと感じていた自分に、「この後にこんなことがおこるよ。いろいろあったけれど、23歳になった今でも、幸せに笑えているよ」と伝えに行きたい。そして、その後輩とは大人になった今も変わらず連絡を取り合い、社会に対して不満を抱きながらも、当時部活で培った粉骨砕身の精神を生かして日々奮闘する立派な社会人1年目と2年目になったよ、とも。