私には、大学時代からの長い付き合いの女友達がいる。いや、正確には、「いた」と言った方がいいかもしれない。
彼女とは、大学1年生の時にサークルで出会い、意気投合した。大学時代に一緒に海外旅行に行き、互いの自宅でお泊り会もした唯一の友人であり、私は彼女のことを親友と認識していた。
就職後は互いに遠方に住むようになったこととコロナ禍もあり、直接会うことが皆無になった。それでも、時々メッセージのやり取りをしたり、何度かビデオ通話をしたりして交流を続けていた。

歯車が狂い出したのは、彼女が結婚してからだったと思う。最初はウェディングハイなのかと思っていたが、1つ1つの違和感を観察していくと、どうもそうではないように思えてきた。画面の向こうにいる彼女は、表面的な見た目こそ変わらないものの、まるで別人のように見えた。
「自分が話している時でも相手の反応をしっかり見ながら、発言に気を遣って話す」「贈り物には律儀にお返しをする」「相手の都合を無視していきなり電話することなんてないし、何ならメッセージの返信1つすらマイペース」……私の知っているそんな彼女は、もういなかった。会話のノリも何だか違う。環境の変化が、彼女の人間性すら変えてしまったのかと戸惑った。

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私自身が結婚した後でも、その違和感は拭えることがなかった。もちろん、私自身、自分では気付かないが、彼女から見たら結婚後に変わってしまった部分もあるかもしれないから、一概に彼女だけを責めることはできない。表面上は、近況報告をし合い、和やかに会話する、昔と変わらない2人の友人同士がそこにいる。

でも、私は知っている。私が彼女の人生に自分の人生にはないものがあることを知って内心穏やかでいられなくなったのを否定できないように、きっと彼女もまた、彼女が言葉や表情には出していない、様々な思いを私に対して抱いていることを。

大学時代は、互いの育った環境も大学の専攻も住んでいる路線も違ったし、そういった違いなんて物ともしない固い友情なんだと思っていた。でも、よく言われるように、女の友情なんて、ライフステージの変化で簡単に気まずくなってしまうものかもしれない。
社会人になった瞬間から、互いの経済状況、仕事の充実度、人生設計など、少しずつでも差が開いていく一方である。独身・既婚の違いはその中でも最重要なステータスであるものの、互いが結婚したらしたで、夫の職業/年収/人柄や、はたまた子供の有無、子供がいたらその人数/性別/育てやすさなど、比較要素は尽きることがないだろう。

人の数だけ人生があり、それぞれに良いも悪いもない。表面的な情報だけで自分と友人を比較するのは良くない。と、頭では理解していても、悲しいかな、共感できる部分が少なくなってしまった友人との付き合いへの抵抗感は、女性としてのDNAに深く刻み込まれてしまっているのかもしれない。

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今の私の正直な気持ちとして、もう彼女とは付き合いきれない。会いたい気持ちが湧かないのはもちろん、連絡を取ることすら億劫になった。「冷たい人」と思われようと構わない。自分の中で鎮静することのないこの違和感、抵抗感、気まずさを無視して付き合えと言われる方が難しい。

彼女との約10年間の友情を否定したいわけではない。学部から修士課程までの学生時代と就職後しばらくは、彼女は私にとって非常に大きな存在だったのは間違いない。ただ、積み重なったいくつもの違和感が、彼女に対する心の壁となってしまった。

この友情にわざわざ「さよなら」を告げるような野暮ったいことはしたくない。でも、進むほど互いの距離が離れていく分かれ道を、現在進行形でそれぞれ歩いていく2人が無理に関わることが、お互いのためになるとも思えない。
いつか人生の後半にでも、色んなしがらみから解放された2人の人生がまた交わる時が来るなら、その時は、離れていた時間などなかったように、また2人で笑い合いたい。

私は無言の「またいつか」を告げて、彼女とのトークルームをそっと非表示にした。