1000人に1人といえるのかどうかはわからないが、私の家は結構、いやかなり珍しいのではないかと思っている。
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いま住んでいる家ではなく、0歳から18歳までを過ごした実家の話だ。
私が生まれ育った場所は、木本来の素朴な雰囲気がダイレクトに伝わってくる家-ログハウスだった。
父が夢と憧れを目一杯詰め込んで建てたこだわりの家なのだが、幼い私は「こんな家イヤだ」「もっと普通の家に住みたかった」と何の遠慮もなく思っていた。
当時の私が理想として抱いていた“普通の家”は、まず床がツルッとコーティングされたフローリングであること。ログハウスの床はザラザラとしていて、良く言えば木という素材が持つ味をそのまま感じられる。
しかし、歩くときの摩擦のせいか表面の消耗が速い。傷んだ箇所がわずかにでもめくれると、それが棘になって足の裏に刺さるのだ。子どもの頃はスリッパを履く習慣がなく、裸足でぺたぺたと歩き回る。「なんか痛い」と思って足の裏側を覗き込んでみると、まず間違いなく茶色い樹皮が刺さっている。それを母にピンセットで抜いてもらうのは日常茶飯事のことだった。
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一般的な住宅に良く見られる、石膏の白い壁にも憧れた。ログハウスは、床だけではなく壁も天井も階段も、どこもかしこも木・木・木。ひたすら木。不規則な木目模様もそのままはっきりと表面に現れており、木材の色味が明るめだったせいか、家の中にいると何だか目がちかちかした。
また、ログハウスの特徴としてよく挙げられるのが「蓄熱性の高さ」だ。これにもかなり苦しめられた。冬は確かに暖かいのかもしれないが、裏を返せば夏は暑い。特に私の実家の場合は一部分が吹き抜けの造りになっているせいで、エアコンがなかなか効きにくかった。熱気は上に溜まりやすいため、夏はとてもじゃないけれど2階に居ることができなかった。まるで蒸し風呂のような暑さだった。
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あれは、小学生の頃だっただろうか。
「まりちゃんって、木の匂いがするね」
クラスメイトの女の子から何気なく言われたそのひとことを、私は必要以上に気にしてしまった。言葉の裏側にある真意を汲み取ろうと、やけに考え込んだ覚えがある。
そこにずっと住んでいるから気づかないだけで、ログハウスという家の特性上、衣服や髪などに木の匂いが染みついているものなのだろうか。果たしてそれは「良い香り」なのか、はたまた「臭い」のか。当時の私には判断がつかなかった。いずれにせよ、「他の子からは感じられない匂いが私にはついているんだ」と思うと、恥ずかしい気持ちに襲われた。
その数年後には、家の外壁を塗り替える大がかりな工事が行われた。腐食しやすいログハウスは定期的なメンテナンスも必要らしい。塗装の下準備としてまず行われたのが外壁の高圧洗浄なのだが、屋内にまで水が漏れ出してきて大変だった。木材を横向きにして上に積み上げている造りであるため、一般的な住宅よりどうしてもログハウスは隙間が多くなるらしい。横殴りの大雨の日なども、同じく壁の隙間から雨が漏れ出してくるのはよくあることだった。
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…と、ここまで「あれがイヤだ」「これがイヤだ」なんて文句ばかり書いてきたが、いまの私はログハウスが好きだ。18歳で実家を出てから、訳あって4年ほど一切地元に寄りつかない空白期間があったのだが、4年ぶりに帰ったときのことは印象深い記憶として残っている。
リビングで吹き抜けの空間を見上げながら、初めてはっきりと思ったのだ。
「木の匂いがする」と。
同時に、小学生の頃クラスの子から言われたあのひとことの答え合わせをしたような気持ちにもなれた。
本人に確かめたわけではないから、100%の断言はできない。それでも彼女はきっと「豊かな木の良い香り」という意味で言ってくれたんじゃないかと、久しぶりにログハウスの空気を胸いっぱいに吸い込みながら思った。その香りは、懐かしいというよりも、「こんなにくっきり漂っていたんだ」と驚きを与えてくれるものだった。しばらく家から離れていたことによってもたらされた、思いがけぬ新発見だった。
エアコンが効きにくいと恨んでいた吹き抜けの構造も、「開放感があっていいな」と素直に気持ち良さを感じられた。天窓から降り注ぐ光は、2階の天井まで高々と続く空間を温かく照らしていた。
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昔は専業主婦の母が家事のほとんどを担っていたけれど、いま実家には父ひとりしか住んでいない。久しぶりに実家に帰ってまず思ったのは「昔よりもずっと家がキレイ」ということ。室内が整然としているからか、ログハウスが本来持っているカントリー調の味わいが昔よりも発揮されているような気がした。
考えてみれば、父は比較的マメな性格だ。整理整頓の不得意さに関しては、きっと私は母のDNAを受け継いでいるのかもしれないな…なんてことを思ったけれど「私のせいにするの?」と空の上から文句を言われそうなので控えておく。
そして、友達の家に遊びに行くたびに「普通の家っていいなあ」と羨んでいた子どもの頃の私は、きっと隣の芝生が青く見えていただけなのだろう。「何だ、ログハウス超ステキじゃん」と、大人になったいまは少し誇らしく思う。
とはいえ、いまは住人ではないから、良い部分だけを都合よく切り取って見ているだけなのかもしれない。また住むことがあったら「やっぱりイヤだ」と思うのかもしれない。実際、「あれこれメンテナンスがあって大変だ」と会うたびぼやく父。でも、何だかんだでログハウス暮らしを謳歌しているようにも見える。
近頃だと、そんな実家に私が帰るのは年に2〜3回。
閑静な場所に突如出現するそのログハウスはいつ見ても存在感抜群で、家の中に一歩足を踏み入れればナチュラルな木の温かみがふんだんに感じられる。
照れくさいから直接は言わない。けれど、心の中では思っている。
お父さん、めちゃくちゃ良い家建てたね!と。