今、私は夕方のニュース特集を見ている。内容はディズニーと、時代と共に変化するディズニープリンセスだ。ディズニープリンセスと言えば幼い頃の私の夢で、そして少女達の永遠の憧れだろう。綺麗なドレスに身を包み、歌い踊る美しいプリンセスは今の女性に勇気を与え続けてきたことだろう。ニュースでは、そんなディズニープリンセス像の変化について時代に沿って丁寧に解説されていた。ジェンダーレスの今のこの時代、女性は何にだってなれると。そして、もう王子様が迎えに来るのを待っているだけのプリンセスではなく、彼女の夢はリーダーになることなのだと。

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私の深く頷くはずだったはずの首は、急な方向転換で傾げたことによっておかしなことになっていた。そうだ今は2024年、 令和のこの世の中で女性は何にだってなれる可能性を持っている。もちろん男性だってそうだ。今や強く自立したリーダーのような女性は多くの女性の憧れの的だろう。しかし、同時にその「強く自立した女性」の像に私は疑問を感じざるを得なかった。会社を持つ人、皆を率いるリーダーになる人、確かにこれらは間違いなく強く自立した女性の例であると言えるだろう。しかしこのような生き方だけが常にその「正解」と言えるのだろうか。素敵なお嫁さんという将来の夢は許されないのだろうか。

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私はどちらかと言うと世間で一般的に定義されている「強くて自立した女性」なのだろう。将来は外資系企業でグローバルに働きたいと思っているし、自分の意見だってしっかりと発言できるタイプだ。けど、1度だけ素敵なお嫁さんが将来の夢になったことがあった。留学先で出会った1人の男の子、日本にルーツのある彼とは共通点も多く、距離が縮まるのにそう時間はかからなかった。国のこと、文化のことを、言語を超えて彼と色んな話をして私の世界はどんどん広がっていった。そして、いつしか私の夢は彼と素敵な家庭を築くことになっていた。日々駆け足で喧騒の日々を生きてきた私にとって、愛する人と穏やかな時間を共に過ごし生きていくことは夢のような時間だったのだ。

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結局、その後その彼とは遠距離で上手くいくことはなかったけれど、それでも私にとってこれからも抱きしめていきたい、かけがえのない日々であり記憶だ。ここで私は自分に、そして皆に問いたい。では私はその当時、強く自立した女性ではなかったのだろうか。答えはきっとノーだ。その当時も、私には伝えたい自分の考えがあった、譲れない想いがあった。ジェンダーフリーと共に多様性が叫ばれるこの世の中、私達女性は昔に比べて活躍の場が広がったのかもしれない。しかし、同時に精神的な不自由さを感じる世の中になったと言えないだろうか。全ての女性がリーダーにならなくてはいけないのだろうか?それが常に理想の女性像と言えるのだろうか?

幼少期から共に時代を生きてきたディズニーだからこそ、女性像の解釈に違いが生まれたことに、社会への疑問を感じるきっかけとなった。常に変化している社会の中で、本当の意味での「強く自立した女性」とは何か。真に多様な生き方とは何かを考えながらこれからも生きていきたい。